ペーパー・写・楽

ペーパークラフト、京都の写真、カブ、自転車、軽自動車で楽しんでいます。

ペーパークラフト 1/400 空母 瑞鳳を作る その8 ZUIHO 1/400

2008-08-26 20:09:42 | ペーパークラフト 1/400 空母 瑞鳳
 艦載機を作るにあたり、天山について調べてみた。

ウィキペディア(Wikipedia)等より

全幅:14.89m
全長:10.89m
総重量:5,200kg
最大速度:465km/h
発動機:三菱 空冷14気筒「火星」25型 1,850馬力
爆弾:800kg×1または60kg×6
武装:13mm 7.9mm機銃×各1
乗員:3名

天山(てんざん)は、日本海軍が九七式艦上攻撃機の後継機として、中島飛行機
に開発させた艦上攻撃機である。主に、艦艇攻撃用の雷撃機として開発・運用さ
れた。
制式採用は1943年(昭和18年)8月。設計主務者は松村健一。

機体略番は「B6N」。連合軍によるコードネームは「Jill」である。

機動部隊の各空母に搭載された「天山」は、1944年10月のレイテ沖海戦でも、
小沢治三郎中将指揮する囮艦隊の瑞鶴以下計4隻の空母から出撃しているが、
その任務は、主に索敵偵察や爆装した零戦(いわゆる戦闘爆撃機)による攻撃隊
の誘導機としての役割が中心であった。

ということは、囮艦隊にも艦載機は乗っていたんだ。


1/400は小さいので、少し大きめの天山から作成。
切り抜いてみたが、小さい。尾輪は小さすぎて切り抜くと鼻息で飛びそうなので、
一番最後に行う。
切り口は同系統の色で塗装。


胴体部分を筒状に丸める。この状態で乾燥を待つ。


主翼は補強フレームを付けてから折り曲げ接着。


胴体部分にフレームを差し込む。ほぼガイドとなる箇所はぴったり。
プロペラ、車輪、尾翼などを二枚あわせで接着。
ここまでくると後は楽。




出来上がった天山をジッポーの上に置いてみた。


裏返し。


同じ手順で零戦も作ってみた。天山より一回り小さいため、ちょっと苦労する。






天山をもう一機作ったので、空母に搭載してみた。
やっぱり飛行甲板に並ぶと空母が活き活きと見えてくる。
コメント (2)
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ペーパークラフト 1/400 空母 瑞鳳を作る その7 ZUIHO 1/400

2008-08-25 19:17:01 | ペーパークラフト 1/400 空母 瑞鳳
 瑞鳳作りもそろそろ終盤になってきた。
後は艦載機を何機作るか悩むところ。
この小型の空母の甲板には、一度に何機ぐらいがスタンバイしていたのだろう。
できるだけ実情に合わせた機数にしたい。

ありゃ。実情を考えると、化粧し、囮として出動したのであれば、飛行機を積む
必要がない。攻撃を受けてる時の写真も艦載機はない。たぶん格納庫においても
一機も存在しなかったと思われる。
それを再現すると寂しいので、やっぱり艦載機は搭載しよう。

しかし、こんな小さな甲板によく発着艦できたものである。
急ごしらえの飛行技術では、それこそ命がけであったに違いない。
もし自分がやれば、行って来るぞって勇ましく言って、5m先でドボン。
タコとかイカに墨吐いて笑われそうな気がする。


探照灯をつくってみた。小さい。


探照灯とカッターを搭載。
カッターを載せるとボートダビットの取り付け位置が無くなるので、少し
変更した。


左舷の探照灯とカッター。
目立たないが、アクセントになる。




アンテナとか色々付けた。アンテナは立てた状態と寝かした状態を再現できるが、
沈没前が寝かした状態であったことと、置き場所を考え立てた状態で固定した。




右舷前方と後方部分。




左舷前方と後方部分。


この迷彩模様は何をイメージしたのかを考えると、興味がつきない。




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カブでとことこ 七本松通りの立本寺界隈

2008-08-24 20:20:32 | カブでとことこ
 立本寺(りゅうほんじ)で宝物お風入れと庭園開放があるというので、
スクーピーとカブで行ってみた。
場所は北野天満宮から南へ200mぐらい。バイクは天満宮に停めてそこから
歩くことにした。

天満宮へ行く道中は、どこでも地蔵盆の真っ最中。
路地を抜けようとすると地蔵盆の子供たちでいっぱい。
ゆっくり走ってジャマにならないようとことこ走り。


北野天満宮からふれあいの街きたの商店街を南東に。
路面電車のモチーフが商店街のいたるところにある。


七本松通りを南に行くと立本寺。
入り口で志を奉納して庭に通じる廊下へ。
日蓮宗由緒寺院の一つであり、法華系京都十六本山の一つ。
また、妙顕寺(上京区寺之内通堀川東入る)、妙覚寺(上京区上御霊前通堀川
東入る)と並び三具足山の一つ。本尊は十界大曼荼羅。


古いガラス越しに見る庭も、石でできた手水鉢がアクセントになってる。


部屋には色々な宝物が展示されている。
掛け軸とかに書かれた文字は達筆すぎて読めず。なさけない。
水墨画に目が惹かれる。墨の濃淡だけでこのように書くってすごい。
うまい人の絵は空気感が表れる。


狩野玉楽という、戦国期に小田原狩野派の一人として、北条氏の城下町・小田原
で活躍したとみられる絵師の作らしい。


襖絵の虎に睨まれてしもた。


簡素な庭の雰囲気がいい。


建物の中の柱とかは黒光りしていた。年期がはいってる。


境内の鬼子母神堂で地蔵盆が行われている。


立本寺に一礼して千本出水のほうへ。
千本出水から七本松へ戻るルートをとる。
福勝寺(ひょうたん寺)は門が閉まっていて入れなかった。
隣の出水の毘沙門様の華光寺へ。
ほほえましいお地蔵さんが入っていいよといっている。


出水という地名は湧き水から来ているといわれ、ここの庭にも豊かな水を利用した、
庭園がある。
天正11年(1583)に妙顕寺の12世日堯上人が開山した。
十界曼荼羅を本尊として祀る。また本堂の一角に安置されている毘沙門天像は、
鞍馬寺の像と同木同作で平安後期の作と伝え、豊臣秀吉が伏見城で祭祀してい
たのを、この寺の守護神として寄進したといわれている。




百足は足が多いので、おあし(銭)がたくさんつくといわれ、金運を呼ぶもの
として人々の信仰を集めた。
また、百足は後ろに下がらず、前進するのみであるから、戦国武将に好まれた
らしい。


ここにはかわいらしいお地蔵さんがいる。


毘沙門様を出てすぐ向かいの「うかれ猫」の光清寺へ。
門を入るとすぐ石庭が飛び込んでくる。


うかれ猫。名前がいい。説明書きにはこのように書かれてます。
『光清寺の鎮守堂に、牡丹に三毛猫の絵という異例の絵馬が江戸時代から掲げら
れている。江戸時代後期、近辺の遊里から三味線の音が聞えてくると、誘われる
ように猫が絵馬から浮かれ出し、女性の姿になって踊り始めるのだった。それを
見た人がいて、大騒ぎとなった。住職が不快に思い、法力で浮かれ猫を絵馬に封
じ込めてしまった。
その夜、衣冠束帯に威儀を正した武士が住職の夢枕に現れた。「私は絵馬の猫の
化身だが、あなたに封じ込められて苦しくてしかたがない。今後は、世間を騒が
すことはけしてしないので、許してもらえないか」と嘆願した。住職は哀れに思
い、法力を解いたという。
この界隈に伝わる「出水の七不思議」の一つに数えられる。』


石庭の正面。


観音寺のよなき地蔵さんにお参りしてから、少し南に下がって祐正寺の妻取地蔵へ。
独身男性がお参りすると、よき妻とめぐり合うらしい。


一条商店街(大将軍商店街)へ。
ここは妖怪ストリートがあり、見ているとけっこう面白い。
境港の水木しげるロードには完全に負けるが、手作りの面白さがある。
これは家具屋に置かれたタンスの妖怪。


パン屋の妖怪。


魚屋の妖怪。
これ以外にも、この道にはいろんな妖怪たちがお客を呼んでいる。


大将軍八神社へ。
祭神は古来の日本の神ではなく大将軍一神を祀っていたが、 明治時代に「神仏
分離令」によって 神道を国教とし現在の形「素盞鳴尊、その御子五男三女神、
並びに 桓武天皇を合祀」となり、御子八神と暦神の八神が習合して以後社名は
「大将軍八神社」という。


欄干にちいさな屋根がついてる。


祭殿の裏手に錨発見。何の船の錨かわからず。


北野天満宮へ戻る途中に、なつかしい看板発見。


NIKON D70 標準ズーム使用

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京(今日)のとことこ街歩き 近場散策 一乗寺界隈

2008-08-23 20:34:27 | 京(今日)のとことこ街歩き
 朝から雨。オリンピックの野球も4-8と負けが濃厚になった
時から雨も小降りに。
TVを見ていてもつまらんので、近場を散策。


葉山馬頭観世音(一燈寺(いっとうじ))、小さい頃から葉山の観音さん
と呼んでいた。


細くて暗い参道を上がるとすぐ左に小さな池と祠がある。


石段を上がりきると十三重石塔の左に本堂(観音堂)がある。
昔は良く占いが当たるというので、遠くから訪れる人がかなり
いたが、今は静かなお堂になっている。

本山の本尊である馬頭観世音は、今を去る1200年の昔、推古天皇
の御世に出られた聖徳太子の御作で、諸病を除き心願成就の霊験で尊
ばれた。往古からこの地に安置してご利益があり、本村の住人端山光寿
の子孫が代々守護していた。
現在の観音堂には、上記の縁起にも示される三面馬頭観世音菩薩像が
祀られている。毎月17日と18日にのみ厨子が開扉され、姿を拝むこ
とが出来る。とのこと。


昼間でも霊験を感じさせる薄暗いところなので、灯篭のコケも立派に
育っている。

紅葉の季節は誰も知らない超穴場。




臨済宗 円光寺(圓光寺)。
徳川家康が学問所として慶長6年(1601年)に圓光寺学校を伏見に創建。
その後、相国寺に移転したあと寛文7年(1667年)に現在の地に移転した。

昔は尼寺でひっそりとしていた。今は紅葉のライトアップが有名で観光名所に
なってる。
ここから先は拝観料がいるので入らない。


詩仙堂を素通りして八大神社へ。
ここの参道のコケは年季が入っている。


八大神社の御祭神は、一乗寺の産土神さま・氏神さまとして「素盞嗚命」
「稲田姫命」「八王子命」が祀られている。


八大神社の境内地である一乗寺下り松(さがりまつ)にて、慶長九年(1604年)、
剣聖宮本武蔵が吉岡一門と決闘した。
武蔵の時代を生きた初代下り松の古木。


周りの祠の木々にちょっと秋の気配。


八大神社の坂を降り、南行きの路地を通ると北山別院に出る。

親鸞が1年間ほど修業をしたところといわれている。当初は天台宗であったが、
延宝5年(1677)に浄土真宗として再興され養源寺と号し、延宝8年(1680)北山
別院となった。境内には、親鸞が修業の途中、この地の湧き出る水で身を清めた
と伝える井戸がある。


北山別院の鐘は、下のほうが花のようになってる。今日気づいた。


境内には、親鸞が修業の途中、この地の湧き出る水で身を清めたと伝える井戸
がある。
中に入って鉄の扉を開けてみた。聖水といわれるだけに、さすが綺麗な水。


(この画像は2007年12月2日)
北山別院を左手に行くと金福寺がある。
臨済宗南禅寺派の寺院。
金福寺は俳句の聖地といわれ、松尾芭蕉の碑、松尾芭蕉像、与謝蕪村の遺愛品など
も残されている。

小説「花の生涯」のヒロイン 村山たか女が、波乱の生涯を尼として終えた寺院。
ここも紅葉時の名所。
(去年の秋に拝観したときの写真がでてきたので貼り付けます)


金福寺から東の山手の暗い参道に入ると波切不動尊がある。
空海が唐からの帰朝の際、荒れた海を鎮めようと念じたところ、海から不動明王
が現れ、嵐はやんだ。
その不動明王を祀ったのが波切不動尊。本山は高野山にある。


波切不動尊は「いんきょの滝のお寺」。滝は裏手にひっそりとある。
「ボケたらあかん長生きしなはれ」の看板には色々なことが書いてある。

・年を取ったら出しゃばらず 憎まれ口に泣きごとに 人のかげ口 愚痴いわず
 他人のことは褒めなはれ 聞かれりゃ教えてあげてでも 知っていることでも
 知らんふり いっもアホでいるこっちゃ 。。。
 とか、いっぱい書いてある。


NIKON D70 標準ズーム使用

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CanonScan Lide 90の素人レビュー

2008-08-22 19:49:19 | パソコンでぼちぼち
 ポーランド製のペーパークラフトを作っていると、細かく切った
部品が風でとばされて行方不明になったり、切り間違えたりするこ
とが結構ある。
そのたびに切り抜いた跡をトレースして複製をつくり何とかしていた。

あっそうか、原本をSCANして複製しておけばいいんだ。
ということと、今回買ったMODELIKの冬月が元々部品不足のため、
コピーが必要なことから、スキャナを購入することに決めた。

調べるとスキャナには2種類のタイプがある。CCDタイプとCISタイプ。

CCDタイプは、凹凸のある原稿も読み取れるが、数枚のレンズを使う
ことから大型になる。値段はCIS方式よりも高くなる。
CISは凹凸のある原稿は読み取れないが、小さくコンパクト。

自分の目的はペーパークラフト原紙のコピーのためCISで十分。
ということで、値段の安いCanonScan Lide 90を8千円ぐらいで今日購入
した。


スキャナって軽いんだ。近くの電気屋に健康かねて歩いていったが、
荷物は全然苦にならなかった。


大きさはA4より少し大きめ。冬月のペーパークラフト(A4)を置いてみた。
軽くて場所もとらずでいい。


立てるスタンドも付いてる。片付けるとき便利で邪魔にならない。
また、電源もパソコンのUSBから供給なので、お手軽。


さっそく付属ソフトをインストールして、不足している部品のページを
取り込んで見た。左が原本、右が複製。
インストールソフトは、異なるソフトのたんびに、承諾の”はい”いいえ”
を聞いてくるので、いちいち返答しなければならない点がわずらわしい。
最初に全ソフトの許諾を一度にすれば、ほったらかしてインストールできる
のに。

スキャンは色々なソフトでもできるが、マニュアルに沿ってArcSoft
PhotoStudioを使いJPEGで取り込んだ。
ペーパークラフトの複製のため、色合いよりもサイズがぴったりするか
が肝心なので、スキャンした画像はWORDを使い、余白は上下左右全て0mmに
設定して挿入を行って印刷すると、ずれも無く、原本どおりに印刷できた。

ただ、色合いは原本に比べ薄くなる。
画像処理ソフトを使えば、より近い色合いになるだろうが、面倒なので
やめた。


リノリウム甲板のページも取り込んで印刷してみた。
印刷用紙はいつものフォトマット。
さすがリノリウム押さえの金色の線は、反射の関係か黒い線で印刷された。
左が原本、右が複製。


艦底部分は薄めだが色合いはいい。
左が原本、右が複製。


細かな線がたくさん書かれているところは、デジタル処理の欠点である
違った模様が印刷された。
デジカメでも細い線の集合物は、違った模様として表れる。左が複製。


SCAN時間も遅く音も大きいとどこかで書かれていたが、家庭で使うには
十分だと思う。
ペーパークラフトの無くした場合の予備複製としては、値段も手頃。
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