没後20年、荻須高徳展が8月5日から10月9日まで
神戸市立小磯記念美術館で開かれている。
荻須高徳は明治34年(1901)に愛知県稲沢市に生まれ
1986年になくなった。神戸生まれの小磯良平は東京
美術学校で同級の一人だった。
荻須は同級の山口長男と共に1922年にフランスに
渡り、以後パリに定住した異色の洋画家である。
第二次世界大戦勃発後、1940年に日本に帰国するが、
終戦後の1948年に日本人画家として一番早く
フランス入国を認められた。
荻須は、シャンゼリゼやオペラ座などの豪華な大通りよりもどうしても
人間臭い裏街にひかれ、「創作家具屋」(1929)などの優れた作品を
残した。
荻須はどこの町にも見かけない黒色の調子,黄や青、赤の新しい色彩の
パリの町が私を喜ばせてくれると書き残している。
今回の特別展には73点の油絵、4点の水彩、14点の素描が展示
されていた。時代順に一枚一枚の絵をじっくり味う事が出来た。
特に晩年が近づくにつれ絵がぱっと明るくなっていくように
感じるから不思議だ。
荻須はパリはいたるところくまなく歩きましたと語っている。
「パリの町」(1979年)のペン画が展示されていた。
荻須は、出来なくて、苦しんだり、考えたり、これも楽しみの一つで、
僕の哲学といえるかも知れませんと小磯記念美術館が「子供のための
鑑賞ガイド」の中にしるされてあった。
荻須特別展のあと、美樹館の一角にある、神戸風月堂経営の
喫茶室の風景をスケッチした。
昨年7月描いた甲子園球場とその前の年に描いた店内からの
窓外の景色のスケッチが、喫茶室の右隅に昔のままの状態で
飾られていた。
はからずも、わが子に再会したような,気はずかしい気持ちを
味うことがが出来た次第である。(了)
Kenさんのスケッチは、ブログ容量の関係で削除させて頂きましたが、11月1日に、「かんぽう」さんから『ユニークに乾杯』というタイトルで出版予定です。定価2.000円。
ISBN978-4-904021-03-3 C0071 1905E
株式会社 かんぽうサービス ℡06-6443-2173
大阪市西区江戸堀1-2-14 肥後橋官報ビル6F(〒550-0002)
神戸市立小磯記念美術館で開かれている。
荻須高徳は明治34年(1901)に愛知県稲沢市に生まれ
1986年になくなった。神戸生まれの小磯良平は東京
美術学校で同級の一人だった。
荻須は同級の山口長男と共に1922年にフランスに
渡り、以後パリに定住した異色の洋画家である。
第二次世界大戦勃発後、1940年に日本に帰国するが、
終戦後の1948年に日本人画家として一番早く
フランス入国を認められた。
荻須は、シャンゼリゼやオペラ座などの豪華な大通りよりもどうしても
人間臭い裏街にひかれ、「創作家具屋」(1929)などの優れた作品を
残した。
荻須はどこの町にも見かけない黒色の調子,黄や青、赤の新しい色彩の
パリの町が私を喜ばせてくれると書き残している。
今回の特別展には73点の油絵、4点の水彩、14点の素描が展示
されていた。時代順に一枚一枚の絵をじっくり味う事が出来た。
特に晩年が近づくにつれ絵がぱっと明るくなっていくように
感じるから不思議だ。
荻須はパリはいたるところくまなく歩きましたと語っている。
「パリの町」(1979年)のペン画が展示されていた。
荻須は、出来なくて、苦しんだり、考えたり、これも楽しみの一つで、
僕の哲学といえるかも知れませんと小磯記念美術館が「子供のための
鑑賞ガイド」の中にしるされてあった。
荻須特別展のあと、美樹館の一角にある、神戸風月堂経営の
喫茶室の風景をスケッチした。
昨年7月描いた甲子園球場とその前の年に描いた店内からの
窓外の景色のスケッチが、喫茶室の右隅に昔のままの状態で
飾られていた。
はからずも、わが子に再会したような,気はずかしい気持ちを
味うことがが出来た次第である。(了)
Kenさんのスケッチは、ブログ容量の関係で削除させて頂きましたが、11月1日に、「かんぽう」さんから『ユニークに乾杯』というタイトルで出版予定です。定価2.000円。
ISBN978-4-904021-03-3 C0071 1905E
株式会社 かんぽうサービス ℡06-6443-2173
大阪市西区江戸堀1-2-14 肥後橋官報ビル6F(〒550-0002)