ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

バ―ナンキ議長、演説で、超低金利政策維持を確認(学校で教えてくれない経済学)

2009-12-08 17:57:42 | 経済学
「真珠湾はどこにあるか、と問われ、「三重県」と答える若い人もいると聞く。」と8日の読売朝刊「編集手帳」で読んだ。日本がアメリカと戦争を始めたのは昭和16年(1941)であることも含めてピンとこない人が日本の人口の多数を占めるようになったからだろう。

昨晩午後10時からNHKで「海軍はなぜ誤ったのか」という特集番組を流していた。あの手の番組を何人の若い人が見ているのかと思うが、お迎えが近くなった人だけが盛り上がっていても、やらないよりはやる方がいいに決まっているが、むなしい気がした。

日々の身近な世界で、70年近くたったいまもなお、当時の海軍が誤ったことと全く同じ過ちを繰り返しているというNHKの多くの視聴者の指摘が番組で紹介されていた。歴史から学ぶことがいまほど忘れ去られている時代はないのではないかと常々思う。

先日、さるところで講演する機会があった。2010年はどんな年になりますかと問うなかれ。ご自身が絵筆をとって自分ならこうするとの思いで一枚の絵を描いて欲しいと話した。

絵を描いていると花弁一枚一枚が自己主張している。同じ木のなかの葉っぱ一枚一枚が全て違う。朝、昼、晩でまた違う。それぞれが違うものに折り合いを付けながら一枚の絵に仕上げることが、今こそ日本人ひとりひとりに求めれている時代はないのではなかろうか。

EUに今年12月、調整型の大統領が誕生した。27ケ国それぞれ人種、歴史、懐具合全て異なる。それぞれが自己主張するなかで一枚の絵に描き上げる難しさは並大抵ではないであろう。名もない、カリスマ性もない、ひたすら調整型と自らも認める大統領が生まれたことは2010年を迎えるにあたって何かを予見しているような気がしてならない。

7日、米FRBバ―ナンキ議長は演説し、「米国の住宅、個人消費、株価に回復の兆しがみられる」と現状を認識した上で、「超低金利政策を維持する可能性が高い」と指摘したと外電は伝えている。超低金利はドル安という副作用を伴う。それを承知の発言に違いない。

バ―ナンキ議長は、「大恐慌」をハーバード大学の卒業論文のテーマに選んだ。「大恐慌」の二の舞だけはなにが何でも避けたいとの執念の持ち主と言われる。11月の米雇用に改善の兆しが見える。利上げのタイミングが早まるとの観測からドルが買われ、円、ユーロが売られ、その間、NY金、原油先物相場が反落した。一時的動きに惑わされてはなるまい。

バ―ナンキ議長は、「超低金利政策維持」を再確認した。彼は猫(米国)がネズミを捕れなくなってきたことを実感している。「真珠湾」を忘れるなとルーズベルトはアメリカ人の心を一つにまとめた。バ―ナンキは「大恐慌」をテーマに一枚の絵を描こうとしている。(了)

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芥屋の大門(スケッチ&コメント)

2009-12-08 07:56:39 | スケッチ


芥屋の大門

江嵜企画代表・Ken



福岡「山の上ホテル」で講演する機会があり、講演前日の12月3日、「芥屋(けや)の大門(おおと)」を友人のTさんが案内してくれた。福岡天神から車で約1時間で、糸島半島にある二見が浦にまず着いた。ここは伊勢志摩の朝日の二見が浦に対して筑前の夕日の二見が浦と呼ばれているそうだ。

暫時休憩後、約20分行ったところで車を降りた。はるか前方、岬の突端に小山が見えた。そこがお目当ての「芥屋の大門」である。岩までかなり距離がある。そんなことは先刻承知と言わんばかりに、Tさんは「裏道に入ってみましょうか」という。蛇の道は蛇か、促されるままに、草むらを分けて彼のあとについて山中のあぜ道を数分歩いた。

突然海岸に出た。なんと、目の前に巨岩がすっくと立っているではないか。スケッチをしやすい場所を彼がわざわざ設定してくれたのだと分かった。絵心をいたく刺激された。早速スケッチを始めた。時々、薄日は差していたが、風はきつかった。風よけにとコ―トの襟を立てた。さすが玄界灘、暦通りの冬だった。

柱状になった玄武岩がよく見えた。小山の高さは64メートル。洞窟の中に入れば六角形や八角形をした玄武岩を見ることが出来る。4月から10月まで期間限定で芥屋港から遊覧船が出ており、洞窟の中まで入れるとあとで聞いた。

「芥屋の大門」をヤフーのブログでクリックした。260万年以上前に噴出した玄武岩が冷却し垂直なものや曲がりくねった物があると出ていた。玄界灘の荒波に打たれて90メートルの洞窟が出来た。気の遠くなるような話である。昭和41年(1966)、天然記念物に指定されたと書いてあった。

午後1時をすぎた。さすがに小腹が空いてきた。車で15分ほどのところにある生牡蠣を炭火焼きしてくれる場所にTさんが案内してくれた。掘立小屋を大きくしたようなビニールハウスの中が食堂の体裁をしていた。

客が入るとテーブルのコンロに炭火を係りのおばさんが運んでくる。いや、お姉さんと呼ぶべきかもしれない。牡蠣一皿1000円。ホタテ1個300円、クルマエビ2ヒキ500円,イカ時価500円からなどと書いた看板が目にはいった。ちなみに炭代は300円と書いてあった。

網の上で焼き上がると、栗が跳ねるように、パン、パンと音がして、牡蠣の殻が割れる。その時シュ―としぶきがめがねのレンズに飛んできた。食べては次の牡蠣を金網に載せる。牡蠣が口を開けたらナイフで殻を割いては食べる。人間とは実に残酷な生き物だと連中は思っているかもしれないが、牡蠣がこんなにうまいもんだということを初めて知った。

ウイークデーだったが客の出入りは頻繁である。観光の人気スポットだということも後で知った。一息いれたところであわただしく店内の様子をスケッチした。

帰路、福岡市内を一望できる愛宕神社に参拝、境内の茶店で大盛りのぜんざいをいただいた。玄海灘の観光とグルメの旅を満喫させていただいたTさんには感謝、感謝である。(了)




牡蠣ハウス(糸島)

江嵜企画代表・Ken


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