淀屋橋交差点喫茶店風景
江嵜企画代表・Ken
江戸の豪商淀屋の足跡を探索するベルギーの旅から2年たった。ブラッセルのグラン・プラス広場を飾る電飾の光景が記憶に鮮明に残っている。リーダーのSさんの呼びかけで、旅の仲間数人が、ベルギー旅行の思いも新たに、地下鉄淀屋橋駅に集合した。
お目当ての一つは、25日まで開催されていた中之島一帯を電飾で飾る「OSAKA光のルネッサンス2009」である。この催しは、グラン・プラスの盛況を聞いて、大阪市がならったとSさんが話していた。
中之島は、淀屋初代の常安が開発した。中之島には各藩の蔵屋敷が建ち並んでいたと伝えられる。いまはなんでも東京である。見る影もなく寂れた大阪であるが、大阪来訪の機会があれば、堂島米市場跡、淀屋屋敷跡を訪れ、往時をしばし忍んでいただければと思う次第である。
大阪も元気でっせ、と大阪復権のイベントとして立ち上げた事業の一つが中之島イブの催しである。クリスマスイブの夜、25万人もの人が訪れたそうだ。淀屋橋南詰から大通りに伸びる「御堂筋イルミネーション」との相乗効果で、初日の12月1日からイブまで275万人がつめかけたという。仕掛けが良ければ人は必ず集まる好例であろう。
江戸時代、経済の中心は大坂だった。淀屋橋の名前は屋敷前で米市を始めた豪商淀屋に由来している。淀屋は日本で初めて幕府公認の先物取引所を開設したこともいまではほとんど知られていない。
淀屋橋のいわれ、江戸の豪商の実像に限らず、日本人でありながら日本の歴史を学校で時間をかけて、子供の時に教えられていない。戦後60数年たったいま、日々の日本人の生きざまにいたるまで、色々な場面で、自分の国の歴史を知らないことの弊害が出てきているような気がしてならない。
中之島の光のイブを楽しみ、淀屋屋敷跡を訪ねたあと、淀屋橋交差点西南角、屋敷跡の地下にある喫茶店でリ―ダ―のSさんのレクチャーを拝聴しながら、楽しいひと時を過ごすことが出来幸いだった。店内の様子をいつものようにスケッチした。(了)