「蓼食う虫も好き好き」ということばがある。広辞苑で引いたら、「苦い蓼を食う虫もあるように、人の好みは様々である」と出ていた。大阪茨木市在住の作家の佐藤眞生さんが地域広報誌のBird’s Eye最新号に、「キャベツは虫に対する毒性を持っていて、ほとんどの虫はキャベツを食べない。モンシロチョウは毒に対する耐性を持っているからキャベツを食べる」と書いておられた。
キャベツはモンシロチョウの幼虫に食べられてさぞ困っていると思いきや、佐藤眞生さんによると、キャベツがモンシロチョウを選んでいるというではないか。筆者は頭から虫が野菜を選んでいると思い込んでいた。
生育の良くないキャベツが虫に食われているそうだ。キャベツ同士で太陽の光を巡って互いに獲り合っている。青虫は日陰を好む。日光を浴びてしっかり結球したキャベツには青虫は入っていかない。日陰のキャベツは青虫に食われるというのである。自然の妙とはこういう世界のことを言うのだろう。
「蓼食う虫も好き好き」の言葉の由来をヤフーで調べてみた。中国南宋時代の随筆集『鶴林玉露』にある「氷蚕は寒さを知らず、火鼠は熱さを知らず、蓼虫は苦さを知らず、ウジ虫は臭さを知らず」と言われ、日本では江戸時代の狂言の台本『縄綯(なわない)』に「たでくうむしもすきずきと申すが。。。」とある、と出ていた。
「毒にも薬にもならない」という言葉がある。毒と言うことでは、大いに飛躍するが、先日、「ダ―ウインが来た」という番組をみた。猛毒フグに臆病な側面があることを紹介していて面白かった。フグが産卵のために川を上る姿も見せてくれた。ただ、フグを食べて命を落とす魚もいる姿も紹介していた。
こちら経済学である。経済の世界は食うか食われるかの厳しい世界だとよく言う。植物や魚の世界をみていると子孫を残すために彼らの方がよっぽど真剣に日々の生活を送っていることを教えてくれる。
今朝、テレビ東京系の番組「モーニングサテライト」を見ていたら、番組の最後に「今日のキ―ワード」として「少子化対策」というパネルを画面に写してさるコメンテーターが力説しておられた。
本来ひとに教えられて子孫を残したり残さなかったりするものではない。「少子化対策」「少子化対策」とバカの一つ覚えのように取り上げられている。思い上がりもほどがあると常々思っている。
いただきものの命であることを忘れて自分で子供を作るとか、作らないとかいった言葉を平気で口にする人がいる。それこそ天に唾する言葉であろう。
以前、虫をむやみに殺さないでという文を書いたことがある。日本の企業にも昔は企業の虫と言われる人が大勢おられた。それが経費節減の大義名分に次々ブルドーザーで押しつぶされている。
不景気を嘆くヒマがあるのなら、このような時代であればこそ、蓼食う虫も好き好きということわざに思いを致して欲しいと思う次第である。(了)
キャベツはモンシロチョウの幼虫に食べられてさぞ困っていると思いきや、佐藤眞生さんによると、キャベツがモンシロチョウを選んでいるというではないか。筆者は頭から虫が野菜を選んでいると思い込んでいた。
生育の良くないキャベツが虫に食われているそうだ。キャベツ同士で太陽の光を巡って互いに獲り合っている。青虫は日陰を好む。日光を浴びてしっかり結球したキャベツには青虫は入っていかない。日陰のキャベツは青虫に食われるというのである。自然の妙とはこういう世界のことを言うのだろう。
「蓼食う虫も好き好き」の言葉の由来をヤフーで調べてみた。中国南宋時代の随筆集『鶴林玉露』にある「氷蚕は寒さを知らず、火鼠は熱さを知らず、蓼虫は苦さを知らず、ウジ虫は臭さを知らず」と言われ、日本では江戸時代の狂言の台本『縄綯(なわない)』に「たでくうむしもすきずきと申すが。。。」とある、と出ていた。
「毒にも薬にもならない」という言葉がある。毒と言うことでは、大いに飛躍するが、先日、「ダ―ウインが来た」という番組をみた。猛毒フグに臆病な側面があることを紹介していて面白かった。フグが産卵のために川を上る姿も見せてくれた。ただ、フグを食べて命を落とす魚もいる姿も紹介していた。
こちら経済学である。経済の世界は食うか食われるかの厳しい世界だとよく言う。植物や魚の世界をみていると子孫を残すために彼らの方がよっぽど真剣に日々の生活を送っていることを教えてくれる。
今朝、テレビ東京系の番組「モーニングサテライト」を見ていたら、番組の最後に「今日のキ―ワード」として「少子化対策」というパネルを画面に写してさるコメンテーターが力説しておられた。
本来ひとに教えられて子孫を残したり残さなかったりするものではない。「少子化対策」「少子化対策」とバカの一つ覚えのように取り上げられている。思い上がりもほどがあると常々思っている。
いただきものの命であることを忘れて自分で子供を作るとか、作らないとかいった言葉を平気で口にする人がいる。それこそ天に唾する言葉であろう。
以前、虫をむやみに殺さないでという文を書いたことがある。日本の企業にも昔は企業の虫と言われる人が大勢おられた。それが経費節減の大義名分に次々ブルドーザーで押しつぶされている。
不景気を嘆くヒマがあるのなら、このような時代であればこそ、蓼食う虫も好き好きということわざに思いを致して欲しいと思う次第である。(了)