森田りえ子が語る・花が咲くように描く
江嵜企画代表・Ken
「花が咲くように描く」と題して、3月13日、午後2時から香雪美術館、別館茶室で開かれたトークショウで、日本画家、森田りえ子さんは、雨の中早朝より並んで手に入れた50人の幸運な整理券を確保された皆さんの前で話した。 会場の様子をスケッチした。
冒頭、森田りえ子さんは3年前、東日本大震災で命を落とされた方々のご冥福をお祈りすると共に避難生活を今もなお送っておられる方々にお見舞い申し上げますと話した後、神戸も19年前震災を経験した。神戸生れの一人の画家として、しばしば訪れた香雪美術館での個展開催のお話しを聞いた時、嬉しくて舞いあがりましたと挨拶した。
トークショーはプロジェクタ―に絵を写し、それぞれの絵について香雪美術館の落合学芸員が質問、森田画伯が答える問答方式で進んだ。絵描きさんになられる原点について教えて下さいと聞いた。
「大学では日本画に絞って勉強していなかった。洋画もやった。デザインもやった。日本画は面倒くさい。花を写生することが苦しい。いやだ―なーと思っていた。上村淳之先生が森田さん、僕の助手をしてくれへんかと頼まれた。自分の母親のような生徒さんの絵の方がうまいではないか。教えるふりをして練習してました。これではだめだと猛烈に勉強始めた。」と森田さん。
「実は、絵描きになろうと考えたことはなかった。石本先生と一緒に2週間の卒業記念の旅に出た。目の前で鬼のように写生される石本先生の姿を見た。人生は一度きりだ。悔いなく生きよう。その時はじめて絵描きになろうと決心した。25歳の時だった。」と森田さん。
「自分を磨くもの何かを考えた時、デッサン力だと気付いた。花を描くために何度も何度も京都植物園に通った。花や葉がこっちの色の方がいいよと教えてくれていると感じ始めた時、絵を描くことが楽しくなった。」
「花を描いていて自然と融合している自分に気づいた。ハチやチョウが蜜を求めて戯れている。彼らも自分の仲間だ。自分も宇宙の一員だと気付いた。」
「1986年、糸菊の絵を描いて川端龍子大賞をもらった。
「白日」という題の絵です。それまでは下描きを見て描いていた。下書きを見て描いているとどうしても花が硬くなる。花が咲いているように描けばいいのだと気付いた。フリ―ハンドで描いた。花びらが生きている。糸菊が噴水のように咲いている。今回の展覧会で30年振りにその絵と再会した。」と森田さん。会場には最近描いた糸菊の絵も展示されている。一段と艶やかに花開く糸菊を併せ鑑賞できる。
森田画伯は「花の画家」と言われている。しかし、舞妓さんなど様々な人物画も今回の展覧会で展示されている。「最近は肖像画の注文も受けており、描き始めている。人物画は似顔絵でない。女性像は森羅万象を象徴している。人物画は喜怒哀楽を代弁している。」と森田さん。
2006年に描いた、満開の桜の花びらの中から舞妓さんが抜けだしてきた「花の下」が、今回の個展の表紙を飾っている。「舞妓の足元には花びらが散り落ちている。舞妓から芸子へ。これからはじまる新しい世界に向けた舞妓の気持ちを描いた。」と森田さん。
「絵の効用の一つは人々に心地よい、生きるこころを呼び覚ましてくれることだと思っている。これからもそんな絵を描きつづけていきたい。」と、14日、香雪美術館で開かれた京都市立芸術大学客員教授として母校の現役生徒を前にした公開授業で森田画伯は話しておられた。
「森田りえ子 花らんまん展」は5月11日まで開かれている。会期中は休日なし。寒さが長く続いた今年の神戸もこの週末から一気に気温も上がるという。
当美術館の内庭のしだれ桜もほどなく咲きはじめるだろう。「香雪」には、めずらしい紅と白のしだれ桃が咲く。最寄に来られる機会があれば、「花らんまん展」までお運びいただければありがたい。(了)