柳田國男生家見学・西宮文化協会バスツァー風景
江嵜企画代表・Ken
民俗学者、柳田國男の生家などを訪ねる西宮文化協会主催のバスツアーが11月7日あり、楽しみにして出かけた。西宮神社境内午前8時15分集合、一人の遅刻者もなく予定の8時30分ぴたり発車した。バスは西宮北ICへ北進、加西サービスエリアで休憩、福崎ICを経て最初の訪問先、日本玩具博物館(079-232-4388)に11時20分に到着した。
館長の井上重義氏(75)の説明がはじまった。氏は電鉄会社勤務の傍ら40年以上かけて玩具を収集されたという。「昭和40年(1965)ご自身が趣味で集めた約5,000点をもとに玩具博物館を開設、その後寄付などで増え、今では日本国内にとどまらず海外145ケ国から集められた玩具が白壁土蔵6館のなかに凧、コマ、人形,手マリ、ひな人形、着せ替え人形など郷土玩具含め9万点、圧巻だった。終始、笑みを絶やさず説明され自らコマの実演まで披露いただいた。
福崎ICを経て、レストラン「もちむぎのやかた」で昼食、お目当ての訪問先、柳田國男生家、柳田國男顕彰記念館を見学した。柳田國男の生家は、田の字型の間取りで、四畳半二間、三畳二間だった。柳田國男は自著「故郷七十年」で『私が民俗学を志したのは、私の家が日本一小さな家だということがひとつだ』と書いている。
現地で購入した千葉徳爾(ちばとくじ)著「福崎と柳田國男」に「十一歳から約一年預けられていた大庄屋の三木家の人々、特に同年輩で一生親しくした当主拙二氏とその父親承太郎氏宅で、このひとは山のような蔵書を自由に國男に読ませた。」とあった。
同著には「島崎藤村と絶交したのも、藤村が親類の事業を助けてほしいと頼んだためでした」とある。『僕は君には学問の事では教えてあげるが生活について世話はしない。自分でどう生きていくかは自分で決めなくてはいけない。他人にたよるのはもってほかだ。』と周りのひとにも言っていたとあった。
帰路、史跡、生野銀山・生野博物館に寄った。当地は30数年前訪れたことがあるが様変わりに整備されていた。ガイドの説明で「粉じんと高湿度のため、30代、40代で命を落すひとが多かった。珪肺でやられた。」と話していたが印象に残った。
ガイドの説明で「三菱マテリアルの職員が水の検査を廃鉱になった昭和48年から毎日続けている。言葉は悪いが、企業の責任だからだ。原発事故を起こしたどこかも同じだから、福島から逃げられない。」と話していたことばも印象的だった。
坑道には無数の支柱が岩盤を支えている。「何で出来てますか?」とガイド。「鉄は錆びる。全部ヒノキで出来ています。同じ木でも松だと寿命が短い。もうひとつ、柱は上が太く、下が細い。根の部分を下にすると木が水を吸うので腐りやすい。」とガイド。大いに納得した。
車中、山下忠男、西宮文化協会長から柳田國男主要著作について詳しい解説があった。特に「遠野物語」について『山男の話」『雪女』など興味深い話が多かった。特に『オシラサマ』というウマと夫婦になる話を柳田はリアルに書き残している。多くの子供向けに書かれたおとぎ話や民話はカットされており惜しい』と。
「神様同士が殺し合ったりする。グリム童話にある赤巾金は残酷な話だ。柳田は「遠野物語」でありのまま書きのこした。ハロウインもスコットランドに伝承されるお化けである。世界の寓話、民話には怖い話が多い」とバスの中で山下さんは話した。
生野銀山を後にして、赤松パーキングエリアで小休止、西宮北IC経由で予定時間夕方5時半ぴたり西宮神社に帰った。収穫の多い秋の見学会であった。文化の香り豊かな見学の機会を用意いただいた西宮文化協会にひたすら感謝である。(了)