「台風一過」たなぼた第17回公演
江嵜企画代表・Ken
演題「台風一過」、一幕物1時間40分の公演が2月3日(日)午前11時30分から天王寺下寺町にある浄土宗應典院本堂であり、楽しみにして出かけた。本堂は黒幕で覆われ真ん中に舞台があった。2段に設定された会場イス席は40人、満席だった。
実は昨年秋、案内をもらった当劇団の代表、作・演出者の中川千寿さんに、術後間がないので、今回は行けないと返事していた。公演のあと筆者に声をかける人がいた。中川さんだった。「遠いところ、お越しいただいたのですね。今回は難しいとのお手紙だったので。嬉しかったです。」と握手していただくおまけがついた。中川さんと二言三言、言葉を交わした。
「台風一過」は「台風が関西方面に迫りくる9月下旬のある日」から始まる。開演の合図のあと喪服姿の3人が幕間からかぶり付きの舞台前を通り抜けた。実はこの日、亡き父、光太郎の三回忌で久しぶりで北原家の家族が集まった。
中川さんに2つの質問をした。一つは何故三回忌だったのかということと2つ目にお寺を選んだ理由を聞いた。「お葬式だと、ちょっと、生々しいから」。お寺を選んだのは「たまたまです。会場の場所探ししていたら應典院が見つかったからです。」と答えてくれた。お寺の本堂が、定例的に今回の様に手作りの小劇団に場所を提供していることも分かった。「今回の作品は、身近な話題から取り出し、ユーモアも交えながら、深く掘り下げておられて良かった」と素人なりの感想を述べて別れた。
公演に話を戻す。喪服姿ははじめの一瞬のみ。服を着替えた家族がテーブルの上に置いたアルバムのページをめくりながら談笑する場面に変わる。アルバムには亡くなった父親や母親の若いころの様子が写っている。「お父さん、わかかったんやね。」と長女。「そら、そうや、高校のときのもんやからな。」と長男。アルバムを介して話に花が咲いた。
今は子供ハウスという名のボランティア活動に精を出す母親。父親と母親はある高校の同級生だった。父親は同級の別の女性との間で交わしたラブレーターが、三回忌で整理していた遺品から出て来た。
長男はお父さんとその女性との間で生まれたという話に突如発展、律儀な長男は仰天する場面では、会場は神妙な空気につつまれた。「お母さんのこと、若いころから、よう、知ってるんや」と近所に住む母親の親友が、ちゃちゃを入れるから、余計話はややこしくなる。
「過去にお互い蓋をしてきた家族、それぞれの思いが、父親の三回忌と台風の近畿直撃に合わせるかのように爆発した」と中川さんは配布されたパンフに解説している。「お父さんはお母さんと結婚すると決めてたんやで。お母さんはお父さん一筋やったんや。」と母親。会場にほんわかとした空気が流れた。台風も無事近畿を通り過ぎた。一件落着、めでたし目出たしでドラマは終った。
應典院は大阪最古の神社,生魂神社とほぼ背中合わせの西側、南北に走る松屋町筋に面する。近鉄線では日本橋駅と谷町九町目駅の真ん中あたりになる。西に向かって上町台地から徒歩7~8分下ると今を盛りの黒門市場商店街に出る。
話には聞いていたが、改めて商店街に入ると、春節入りもあってか、店の呼び子も含めて中国語が飛び交い、まるで祭りの縁日のようだった。十数年前になるが香港の下町商店街を散策した時の様子を思い出した。
一時は地盤沈下したと言われた大阪がいま外国人観光客で悦に入っている。2018年訪日観光客3,000万を突破、1位韓国800万、2位は僅差で中国人700万と続く。大阪は特に中国人が目立つ。
商店街のある店の値札を覗くと生牡蠣一ケ1,000円とある。足元を見ていなければいいがと、余計なことが頭をかすめた。大阪はG20を今年夏に開催する。万博会場にも選ばれた。調子に乗ると足元をすくわれる。観光客でごったがえす阪神なんば線、難波駅から帰路についた。(了)