銀扇に描いた水仙
江嵜企画代表・Ken
2月24日(日)、猪熊佳子日本画教室があり猪熊先生のご指導を受け銀扇の水仙を仕上げた。仕上げたと、えらそうに書いたが、筆使いにはじまり絵の具の選択ふくめて細かくアドバイスを受けた。
先日棚を整理していたら今からほぼ20年前、1999年9月26日付の森田りえ子日本画教室の様子を写したスナップ写真が出て来た。その年の4月に高島屋友の会日本画教室にたまたま入れた。25人の教室は何人もの順番待ちだったとあとで事務局の方ら聞いた。誠にラッキーだったことになる。日本画との出会いがその時はじまった。
猪熊佳子先生は、当時、森田りえ子先生が所用のときなど、ピンチヒッターを務めておられた。その後しばらくして森田りえ子先生はご自身の画業に専心されることもあり猪熊佳子先生に教室を譲られた。猪熊先生とのご縁もかれこれ15年近くになる。
この日の水仙では、誠に恥ずかしい限りだが、一枚一枚の花びら、一本一本の葉や茎をもっと丁寧に描きなさいというご指導を受けた。教室は月2回、午前と午後に分かれている。筆者は午前の教室で、午前10時半にはじまり午後1時半に終わる。
当然のことながら、教室は一人の生徒のためにない。頭ではわかっている。教室の終わりが迫ってくると雑になる。この日の内に仕上げたい理由があった。今回の目の手術でお世話になったM先生に感謝の気持ちを銀扇の色紙に描いた水仙に託したい。そのためだけのために、どうしても予約日の25日(月)に渡したかったからだった。
1月21日の手術から早いもので1ケ月余りが経過した。25日は手術後4回目の検診となる。明度が上がり、視力が明らかに回復していることが実感できるようになった。まだ左右の視力に差がある。それが絵を描くときの障害にもなっている。
視力が回復してくると絵心が刺激される。2時間の手術は正直厳しかった。M先生にとっても厳しい手術だったに違いないが 、手術後M先生からお疲れさまでしたという言葉をいただいた。絵を描けることの幸せを改めて実感している次第である。(了)