西宮文化協会ニ月行事
江嵜企画代表・Ken
西宮文化協会ニ月行事として、「西宮」保存箱 玉手箱 思い出話の集い(四)、講演会が2月8日(金)午後1時30分から西宮神社会館で開かれ楽しみにして出かけた。会場に着いたとき既に20数人が席についておられた。会場正面のプロジエクターに、ある小学校の運動会でのパン食い競争の様子が映し出された。豊田先生を画面に描き込んでスケッチを仕上げた。
恒例により山下忠男会長から「豊田みか先生は西宮市情報公開課にお勤め。当会月報や例会でも様々な写真をご紹介しておられます。この度もよりすぐりを選んでご紹介いただきます。講演のあと質疑応答の時間を取れるかと思いますので皆様のご意見お聞かせ願えればありがたい」と冒頭挨拶があった。
豊田みか先生は「今回は「学校点描」として西宮の小・中・高等学校の建物・行事・授業風景などの写真をご紹介したいと思います」と話を始めた。
「まずはパン食い競争の写真です。この写真は何度見てもいつも噴き出してしまいそうになります。小学校の運動会には今も父兄が参加しますが、戦後まもなくと思われる当時の様子を伝える一枚です」と話を進めた。
次に浜脇小学校を手前に庭を入れ学校正面を写した映像が紹介された。「窓が大きい。屋根がモダンなことです。洋館風の建物です。校舎の前に木が植えられています。その他の多くの学校の庭にも多くの木が植えられています。」と校庭と校舎を写した複数の学校を紹介した。
「木陰が出来るため、学校がなにか憩いの場となったと思われます。あとで分かったことですが、要衝の場としても学校が作られたようです。木造校舎が一般的でしたが、当時から鉄筋で作られています。」という紹介は特に印象に残った。
「浜脇小学校は明治5年(1872)に建てられた西宮最古の小学校です。明治6年以降、次々と小学校が建てられていったが、酒造会社の寄付で建てられた学校が多かった。大正モダニズム全盛時代を経て、大正14年の西宮は人口が明治と比べて2.5倍に増えた。明治から大正にかけて、西宮の人口急増には、大阪と神戸を結ぶ阪神電鉄が明治38年(1905)に開通したことが大いに関係している。」と豊田さんは力をこめた。
講演のあと用意された質問時間にも「西宮の人口が増えていき、学校が次々建てられた」話が出た。豊田さんは「阪神電鉄が開通したことが大きい。さらに言えば、当時、酒造会社のオーナーさんが今でいえば学校の建設費用に何億というお金をポンと出された。これは驚くべきことです。」と強調された。
「昭和9年、室戸台風で被害を受けた。校庭から学校の敷居が一段二段高く作られています。防災を念頭に置いて建てられたことが写真を通じてよく分かります。」「校庭に土俵が設けられている写真は香枦園小学校です。女の子もまわしを付けて相撲を取っています。珍しい写真です」「マフラーを巻いた姿が写っている写真です。戦争直後の風景ですが当時流行したことが分かります」と紹介された。
大工のくま太郎さんという方がおられた。明治20年ごろ活躍した。学校だけでなく病院などの建物も手掛けたというエピソードが残っています。」との紹介もあった。
パン食い競争などの運動会風景に始まり、父兄参観の様子、授業風景、校庭の一隅に作られた屋根付きの土俵でまわしをズボンの上から巻いて相撲を取る子供たちの様子などなど、盛りだくさんの情景をスライドを見ながらの1時間の講演を堪能した。今回で四回目というが、次回の「思い出話の集い」が楽しみだ。
山下会長から「こんな場所を次回、是非見たいという方は、西宮歴史資料チームにおられるから豊田先生にご連絡いただければありがたい」との話があり、お開きとなった。楽しい機会をご用意いただいた西宮文化協会事務局にひたすら感謝である。(了)