食品メーカーF社株主総会風景
江嵜企画代表・Ken
神戸にフジッコという食品メーカーがあることを初めて知ったのは、ほぼ3年前、西宮文化協会の事業として当社の鳴尾工場を見学した時にさかのぼる。
オートメーション化が進み、かつ衛生管理が行き届いている会社だなと言う印象を強く受けた。60年前、筆者がいま住んでいる神戸市東灘区内の一隅で、家族ら3人で始めたことを、その時、会社紹介で知ったことが、恥ずかしながら、100株株主になろうと決めた動機である。このことは本日、質問の機会があり、イントロでも話した。
JR三ノ宮駅下車、ポートライナー乗り換え、5番目の駅「市民広場駅」下車、徒歩2~3分で本社玄関に着いた。手の消毒に始まり、マスクの確認、サーモグラフィーなどで検温クリア、会場の席についた。
今では日本でもすっかりお馴染みの言葉となったソーシアルディスタンス(対人距離の確保)が取られた席に一人また一人座った。
午前10時、議長として、福井正一社長から新型コロナウイルス感染拡大下、出席者に協力いただいたことに謝意が延べられたあと、当期、本年3月31日までの1年間の業績報告があった。売り上げ、661億円(前期比3.2%増)も営業利益、48億3,800万円、同12.8%減の厳しい決算となった旨説明があった。そこでこの度のコロナ襲来である。国の内外の環境は、新型コロナウイルスのワクチン、治療薬もいまだに生まれていない。先行きは極めて不透明である。食品業界は特に厳しい。減損損失7億8,000万円を計上したなどと報告した。
概況報告のあと質問時間が用意されており、筆者は二番目に手を上げた。先に触れた当社株主になった経緯を述べたあと「コロナ発生の際の社長さんの印象やその時のお考え、その後、具体的にどのような対応をされたのか知りたい。今年60周年を迎えられるが、100周年を望んで社長さんの心意気を是非お聞かせ願えればありがたい。」と話した。
当社は会場前寄りのほぼ中央にマイクが立っており質問者がマイクまで歩を進める。マイクのそばに係の人が待機、先に質問した人が使ったマイクカバーを取り換える。そのあと消毒したマイクが手渡された。
福井社長は「2月に新型コロナウイルスが日本に来た時、正直、大事にはなるまいと思った。それが違った。日用品不足が巷に伝わり始めた時、工場の現場にも人の往来,モノの往来が止まった。原料が手当てできず工場の操業が大きく影響を受けた。そのため3月以降はほぼ毎日朝8時に対応を協議する日が続いた。」と話した。
「コンビニ用の出荷が伸びたことは当社に幸いした。営業用の出荷が増えたことにも助けられた。ホームステイが長引き、個人の買い物でお惣菜の売れ行きが落ちた。緊急事態解除に伴い需要は徐々に回復過程にある。」と話した。
福井社長は「自分の健康、社員の健康、株主様の健康、国民の健康、そして広くは世界の人々の健康を最優先に考え、事業を創業以来続けている。」と述べた後「ヨーグルトは腸内細菌の活性化、大豆蛋白は栄養価を高める。その結果、免疫力をつける商品が事業の柱であることは当社の強みである。それはポストコロナにも助けになる。一方、このたびのコロナではステイホーム(自宅待機)を強いられたがコロナ以前から手を打っていた通販の伸びが業績を助けてくれた。これからも健康を多くのお客様に提供出来る企業として精進します。」と話しを終えた。
足元の業績は極めて厳しい。いまだ先は不透明であると十分認めた上での社長さんの率直な話を反芻しながら帰路についた。
余談ながら、隣駅前には昨年11月8日、耳下腺腫瘍手術でお世話になった神戸市民病院がある。コロナ騒動で電話が殺到、長い間、予約が取れなかった。このたび、たまたまであるが、足場が良く、直接病院の予約カウンターで再診予約が出来、安堵した次第である。
健康が全てである。健康を失えば全てを失う。十分な睡眠、栄養、適度な運動でコロナ危機を乗り切りたい。(了)