思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

嬉・生誕120年「クレンペラー再考」-レコード芸術4月号特集!! (増補4月2日)

2005-04-01 | 趣味

20世紀最大の指揮者=音楽家・オットー・クレンペラー

若きクレンペラーは、先進的な民主主義=ワイマールのドイツを象徴する刺激的・革新的な音楽活動を展開して、ナチ党を中心とするドイツ民族主義の保守派から憎悪の的とされていました。アメリカに亡命し、大戦後は再びヨーロッパに戻り精力的に音楽活動をするも、ひどい困難が次々と彼を襲います。クレンペラーは、それを人間業とも思えぬような不屈の闘志で克服し、前例のない高みへと上ります。88歳の死の直前まで強靭な精神力を発揮してレコーディングに挑み、見事な「音魂」を残しました。

私が最も愛する指揮者クリックとして以前、ブログにも発表しましたが、今月―4月号の「レコード芸術」では、何ともうれしいことに、「クレンペラーが生み出す音楽は時を越え、否、時とともにさらに輝きを増しているようにおもわれる」として、特集を組んでいます。生誕120年「クレンペラー再考」。ようやく時代が彼に追いついてきた、ということかな?

編集部冒頭の文章にこうあります。『 「音がごつごつして硬く、聴きづらく、最初は嫌いな指揮者だった」今回の特集にあたり、多くの筆者からこんな言葉がもれた。それがいつのまにか「正直に言えば、彼が演奏するなら、なんでもいい」に変わる。それはなぜか?にせまる 』 こんな企画、「レコード芸術」でもはじめてではないでしょうか? ♪実にうれしいです♪(エープリ・フールではありませんよ。)

対談「われらクレンペラー党」の喜多尾道冬さんの話も正鵠を射るもの。
ぜひ、ぜひ、ぜひ、お読み下さい。税込み1250円です。買って永久保存!をお勧めします。

2005.4.1 武田康弘


増補―4月2日

 一言します。
クレンペラーのベートーベンで一番よいのは、第五「運命」ではなく。第三「英雄」なのです。第五のような堅固な構築性をもつ曲よりも第三や第九のような流動的で複雑な要素をもつ曲のほうが、彼には適しているのです。我らクレンペラー党のお二人と編集部の方、「第三」を落としたのはひどい失態ですぞ。それからベートーベンの序曲もどうしてもはずせませんです。

クレンペラーの芸術の本質についてひとこと付け加えましょう。

クレンペラーにとっては、すべてが今なのだと思います。
現代曲は現代曲、古典は古典なのではなく、クレンペラーが楽譜を読んでいるその時が、すべての始まり=今なのです。モーツアルトもベートーベンも過去ではなく、今を生きている音楽として読まれるのです。彼のつくる音楽が時代を超えて存在するのはそのためです。リアルな今が、そのまま霊感とロマンに満ちるのです。戦略や戦術はありません。作為を必要としないのです。この今の現実が直ちに霊感に満ちたロマンとなるならば、一切の作為は不要だからです。その意味でもクレンペラーとカラヤンは、正反対の音楽家でした。もちろん私はカラヤンが好きではありません。深いロマンを秘めた硬骨漢クレンペラーは、骨の髄まで芸術家だったのです。







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