思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「靖国」・「歴史認識」は、先ず、そして何より「国内問題」です。

2005-04-16 | 社会思想

中国に言われるから、韓国や北朝鮮に言われるから、「靖国」が問題なのではありません


日本人の多くは、「靖国」は日本の伝統の「神社」とは全く異なる施設だということを知りません。1869年(明治2年)に明治政府がつくった「東京招魂社」を10年後に「靖国神社」という名称に変えたものです。戊辰戦争などで戦死した政府側の人間だけをまつるためにつくった施設です。敵味方の区別をしないという日本の神社=神道の伝統に逆らったものです。伝統を重んじる右翼の人々がなぜ反対しないのか?不思議です。

靖国は、明治政府がつくった新・宗教=天皇を現人神(あらひとがみ)とする「国家神道」の総本山です。これももちろん日本の伝統とは全く異なります。古代ギリシャやインドなどと同じ、八百万(やおよろず)の神=多神教が日本文化の伝統であり、天皇を「神」とする一神教とは根本的に違います。靖国は日本古来の神社とは無縁な存在なのです。

1946年の「人間宣言」後の日本国憲法下でも、天皇を象徴と規定していますが、一人の人間を「日本国民全員を統合するシンボル」にするというのは、本来「無茶な話」としかいいようがありません。現憲法下でも天皇には国籍がありません。憲法で保障されている人権も天皇は例外とされ与えられていません。このようなおかしな思想=制度を支えてきたのが、靖国に象徴される明治の新宗教=「国家神道」であり、現代なおその思想の清算が済んでいません。天皇を一人の人間として尊重するならば、「象徴」という規定から自由にしなければならないはずです。また、戦死者も死してなお「国家神道」の下に縛ったのでは、その魂は浮かばれません。「国立墓苑」の新設が急がれます。もう戦後60年なのですから。

自由で平等な民主的な社会、抑圧や理不尽な命令のない社会、一人ひとりの命と思想を何よりも重んじる社会は、万人が望むものです。右も左もないはずです。
宗教的儀式の中心者でもある天皇を「元首」にするという自民党の憲法改正案は、市民社会の良識とは相容れません。この21世紀に政治と宗教の一致を目がけるというのは、恐るべき暴挙としか評しようがありません。
もういい加減に、明治政府がつくった国家主義=国家宗教の思想から抜け出そうではありませんか!!


「靖国」は、何より日本の国内問題なのです。


?靖国「神社」と君が代
?国とは何か?
?皇族の人権と市民精神の寛容 
および「水の国=日本、よき伝統を壊したのは誰ですか?をぜひ見てください。


2005.4.15 武田康弘





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