思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「なぜ?」が人間をつくるー実存の源泉?「ソクラテスの無知の知」

2005-04-23 | 教育

ソクラテスの「なぜ?」 

教育哲学 1およびとあわせてご覧下さい(クリック)。

本来、哲学とは理論の体系ではありません。
理屈・論理で武装することではないのです。固定観念から心を解放することで、実存の力=魅力を生みだそうとする営みです。アカデミズム内の思考とは異なるはるかに広い生活世界における思考です。形式や権威や既成社会の思想を「なぜ?」「どうして?」の問いによって白紙に戻すことです。権威主義から最も遠いものです。ひとことで言えば、自由の実践だと言えるでしょう。

ソクラテスの「無知の知」=わたしは知らないということを知っている、とは、「なぜ?」という意味論の追求をすれば自ずと出てくる「答え」です。ただの事実ならば、知っていると言えるわけですが、「なぜ?」の探求を、知っている、といって終わりにすることはできません。「なぜ?」という問いの答えは、段々と深め豊かにすることができるのであり、知っている、とは言えないからです。

現代日本を覆う度(ど)し難(がた)いほどの「事実学」の支配は、人間を昆虫化させてしまいます。パターンの組み合わせによって生きる人生では、人間は窒息死してしまいます。人間の心をエロース豊かで健康なものにするには、「なぜ?」を問う心に就くことが絶対条件です。

さまざまな異様な犯罪は、「事実学」によって神経質に管理された社会がもたらすもの。形式主義というイデオロギーに支配されている日本社会は、事実学の培養池です。平面=二次元でしかない事実学の集積は、人間を生かすのではなく、「反抗」する心さえ消去することで、人間をドライフラワーにします。「なぜ?」の意味論を禁じられた世界では、人々は自分の疎外感の理由を知ることすら奪われるために、異様なヒステリーに陥るほかないのです。
(つづく)

余分な?付け足し:
人間は二次元世界で生きることはできません。二次元世界をそのままにし、自分だけ「うまく」やろうとして、この社会の「エリート」になっても問題は解決しません。原理からの逸脱=嘘の上塗りの人生は、更なる悲劇を生むだけです。三次元の心と頭=「なぜ?」の意味論が必須です。
念のための補足でした。

2005.4.23 武田康弘





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