思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

体力・学力低下の深因は、こども囲い込み運動にある(付・平野さん、色平さんのメール)

2006-02-04 | 教育

1970年代初頭、学生運動終結後に、
自民党文教族と文部官僚は、徹底してこどもたちの管理に乗り出しました。
こどもの自発性を封じ込める三点セット
? 長時間の運動部活動
? 管理主義の校則
? 受験主義の勉学です。
これを私は、こども「囲い込み」運動と呼びます。
左派もこの管理化には抵抗せず、彼らの「理論の中」にこどもを閉じ込めたのです。

ありのままの元気横溢な子どもの姿は次第に見ることができなくなりました。
それは意図的な「囲い込み」運動の成果であり、自然な成り行きなどではありません。まことしやかに囁かれるコンピューターゲームの普及などとは無関係です。
こどもたちの「自由」は意図的に消去されたのです。
管理者たちは、「集団同調」の圧力を作り出すことで、個人の自由を盗んだのです。

体力の低下も、学力の低下も、この管理化―「囲い込み」運動の結果です。
責任が政府と文部官僚にあることは明白です。三十数年前からの保守主義の見事な!「成果」だ、と皮肉を込めて言いましょう。
スポーツ部活動、学外の子どもたちの自由な運動ーあそびもまた大人の統制化におく「スポーツクラブ」。「あそび」クリックが奪われ、単一のスポーツ競技をさせられることで、総合的な体力は落ちていきました。
受験第一の効率主義は、自分で考え出す面白さを奪い、底力のない上っ面な知性を生みました。なぜ?どうして?何のため?が奪われ、技術主義的な知がもてはやされれば、勉学に内的な意味や面白みを感じることは不可能です。

競技主義のスポーツ訓練が「体力」を奪い、技術主義の効率主義が「頭脳」を奪ったのです。大きな悦び、面白み、ワクワク・ドキドキの自分からする体験が奪われれば、人間の生の力-人間力は落ちていきます。さまざまな物質的条件が整えられても、自由が奪われれば、人間は死ぬのです。後にはただの事実としての人=「事実人」(フッサール)しか残りません。
このひどい、あまりに愚かな政策の立案者(共同正犯)は、一体どのように責任をとるのでしょうか?
偽装・偽造建築程度の問題ではありません。人間の活力根絶やしの「根源悪」を生み出した管理主義=こども「囲い込み」運動を早急に改めなければ、未来はありません。

おどけ・ふざけ・悪さ(クリック)の上にしか、未来は築けないのです。これは原理です。

武田康弘


以下は、「公共哲学ML」内でのメール交歓です。

武田さん みなさん 平野慶次@京都です。

 今の子どもらに起きている変化は、もう既に大人になっている人にも起きていると感じています。
 新人類なんて言われた来た人たちがもう既に40歳代です。マニュアル世代もそろそろ40歳代です。
 つい先頃、京都で中学校教師をしていた友人が言ってましたが、「最近の教師は何でもできるのに言われないことはしない。」と。これが、今の「でもしか先生」です。
 そんな教師の指導によって良い影響があるとすれば反面教師ってことしかないでしょうね。
 特に公立中学校は、みんな揃っててな掛け声によって更なる同調圧力が高まってい
ます。
 実は今我が家にも「不登校」のレッテルを戴いているのが一人います。中学校3年
です。14歳と言うと、人生の重荷を一度降ろす時期です。感受性豊かな息子は、徹
底的にさせられる勉強を避けています。
 このレッテル貼りをするまでは、毎日のように電話と訪問がありました。仲の良い
クラスメートの派遣もありました。一度レッテルが貼られると週に一度のアクセスに
なりました。とてもデジタルな対応ですね。
 息子に関しては、これからどうなるのか見当もつかないですが、愉しみです。
 「囲い込み」については、似たような感覚です。更に言い進めるなら、「思考の時
間の剥奪」でしょうね。運動系のクラブ浸けにし、余計なことを考える気力も体力も
奪います。文系クラブでも似たような忙しさに浸らせます。

 ではでは

平野さんの専攻は数学で、「ホリスティク教育」の推進者の一人です
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平野様。皆様。
武田です。

「今の子どもらに起きている変化は、もう既に大人になっている人にも起きていると感じています。
新人類なんて言われた来た人たちがもう既に40代です。マニュアル世代もそろそろ40歳代です。」(平野)

全く同感です。
構造欠陥人間が構造欠陥社会をつくっています。不定形なものをそのまま掴む、という深い力がなく、マニュアルがないと何もできない頭の硬い人間は、「管理社会」でなければ生きられないようです。
カタログで商品を選ぶがごとく、右のマニュアルか?左のマニュアルか?西洋風のマニュアルか?和風のマニュアルか?はたまた第三のマニュアルか?(笑)
どれにしようかな、と思案!?するわけです。三十数年間もの「囲い込み・思考消去」の集団同調主義教育は、自己決定するとはどういうことかが分からない人間だけをつくり出してしまいました。

硬い岩盤の下を支えるのは流動物だ、ということが分からない硬直した精神では何事もなしえませんね。
ここからいろいろ書きたいのですが、もう遅いので今日はここまでにします。
では、また。
武田。
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(色平哲郎さんから)

「感受性豊かな息子は、徹底的にさせられる勉強を避けています。」(平野)

いやーっ、「させられる勉強」、、、
レジスタンスは必要ですよね!
私の場合、小学校2年で、九九を覚えること、漢字の書き取り、の二つにレジスタンスして、「お宅のお子さん、特殊学級、いかがですか?」と担任の先生に言われちゃったのよ、と母が語っております
今も、九九は半分しか言えないし、漢字も中途半端で、かっこ悪い、、、でも現実にはほとんど困っておりません。

信州・佐久にて いろひら拝

色平さんは、医師で、いろいろな社会活動もしている人です

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武田です。

レジスタンスは必要ですよね!(いろひら)

そうです!!
盗まれ、消去された「自由」を取り戻し、さらに新たな「自由」を生み出すために、徹底した「非暴力不服従」のレジスタンスを日本中で巻き起こしたいですね。
子どもの心を失わない大人と子ども自身との「連帯」で。




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