昨日のこの下のブログに対するメールです。
私も、茨木のり子さんの詩に深く共感します。楊原さま、ありがとございました。
武田様
ありがとうございました。
頂いたメールを拝見しながら、先日亡くなった詩人茨木のり子さんの
「倚りかからず」という詩を思い出しました。
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
もはや
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
カッと目と耳を開いて、しっかり学び、自分の良心、価値観を常に向上させる
努力を続けながら、どんなことがあっても、背筋を伸ばして、死ぬ日までを
真直ぐに生きたいと思います。
楊原
文学言語のもつ力をまざまざと感じさせる見事な詩だと思いました。まだ数日前・2月19日に誰も知らずに亡くなっていた茨木のり子さん(茨木さんらしい見事な死でした)の有名な詩に「私が一番きれいだった時」があります。実は、この詩による一曲を2002年「白樺教育館」のオープン記念に棚兼子さんの高弟ー相川マチさんが我孫子市「アビスタ」でその演奏会の最後に歌いました。駆けつけていた兼子さんのただひとりの内弟子で極めて厳しい批評をする大島久子さん(クリック)も、ただ一曲彼女の歌に絶賛をおしまなかったのが「私が一番きれいだった時」でした。不思議な因縁を感じます。
武田康弘