いまある自分にこだわらず、どこまでも「私」を掘り進めて行くー深い納得をつくる営みを続けていく。
どのような種類の権威にもけっして従うことなく、「私」が心中に深く感じ、想い、考えることに誠実に生きる。人間的な善美=存在の深い魅力とは何か?を生活世界の中で追求する。
それが、「私」がよく生きることを支えるのだ。
このように、主観性を掘り進めていく営み以外に、「普遍性=深い納得」をつくる道はない。――これが私の絶対の信念だ。
自分=経験的な自己を捨て去ってしまうまでに徹底された『自己性』、言い換えれば、外的な価値(知識・履歴・財産等の所有)に幻惑されることなく、内的な意味充実の深さ、存在のよさ=魅力だけを己の生の基準とすること。
それが私の超越ならざる「超越」である。
蛇足:以上のような私の「超越」と、王室や皇族という特権や権威のシステムとが二律背反であることは明白でしょう。特権者はいない、ましてや、生まれながらの特権者などあってはならぬこと。これは非・階級社会の基本原理です。)
(以上は、1998年12月12日の「日記」を一部手直ししたものです。)
武田康弘