思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

心幹ー頭幹ー体幹の弱い日本人

2006-07-01 | 私の信条

私が30年間主張し続けてきたことが、またまた見事に!?証明されました(笑)。
「サッカーの日本選手は弱かった」、という今朝の東京新聞の記事には、「体の幹」がしっかりしていない選手たちの問題が指摘されています。今更ですが、「小さい時からサッカーばかりやっている弊害―腕立て伏せができない選手もいるー土台に当たる基礎運動能力の問題」-というJ1浦和の野崎トレーナーの言が紹介されています。

何事でもそうです。
体幹―頭幹―心幹が弱いのです。
受験勉強―点数しか見えない親たち、軟弱な心―母親によって去勢されたような男の子たち、取っ組み合いも出来ないやわな体の子どもたち、自分という中心をもたず、情報や他人の言説に右往左往する軟弱思想の大人たち。

現在の日本、保守主義が横行し、時代を逆行させる愚かなウヨク思想が大手を振るうのは、まさしく、自己=私という人間的な生の出発点を持てない証拠です。組織=システム=既成秩序に依存しなければ生きられない、仲間―集団への無批判的同調、周りの顔色をみて行動し、手強い相手からは「逃げる」人間―肩書きや所属団体に依拠し、さらには一番大きそうな(笑)国家に忠誠を誓う!―ことで、かろうじて自分を支えるようなテイタラクでは、心も頭も体も腐ってしまいます。

「人」か生きているのではありません。
「日本人」が生きているのでもありません。
「私」が生きているのです。
人間が生きるとは、一般的に生きる!?のではなく、具体的経験=体験として私が生きるのです。たった一人の私が生きるのだという自覚がはじめて中身のある共生、共同、協力も可能にします。
自分と違う人間、手強い他者から逃げ回るような人生では、豊かなエロースはやってきません。ジリ貧の惨めな人生しか与えられないのです。

私は、「手強い個人」の育成を目がけて30年間、雨にも負けず・風にも負けず、頑張ってきましたが、しっかりとした人間を育成するには、情報によらずに自分の頭で考える力をつけさせることが絶対条件です。スマートに何でもこなす「おりこうさん」(本質的に不潔!な人間)では何事も成しえません。自分に正直に生きること、既成価値に逆らうことー顰蹙(ひんしゅく)を買うほどに主張することが必要ですが、そういう人間はほとんどいませんね~。私が手本を示しているのに(笑)。

武田康弘


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