思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

天皇ヒロヒトの発言報道で思うこと

2006-07-22 | 社会思想

私は、生身の生きた人間を神聖視するー特別な存在と見なすような考え・想念・思想を認めませんーあまりに当然のことですが。
したがって、元号は使用しませんし、皇族に対して特別な敬語は使いません。
原理的に考えれば、それ以外の答えが出ようはずがないのです。人間の平等、個々人の存在=実存価値は等しいという思想は、普遍的なものであり、それに反する思想は間違っているのです。生まれながらの特別視―特別待遇をしていいはずがありません。

どうして、皆の税金で生活する人たちが、特別な時空間で特別な生活をし、また同時にその代償として、様々な人権を制限されるのか?
まともに答えられる人は誰もいません。(私の書いた「皇族の人権と市民精神の涵養」を見てください・クリック

天皇という存在は、歴史的なものであり、古い日本の文化を象徴するものです。その限りにおいてその存在を認めればよいのであり、現代の政治に関与させること=国事行為を担わせることは、間違いです。その意味でも憲法第一章の改正は必須ですね。

こんなことは、言わずもがなの「あたりまえの話」ですが、今もなお、わが国では、おかしな想念にとり付かれている人が多く、それは、天皇家に生まれた人にとってもひどく迷惑なことでしかないはずです。

21世紀の市民主権社会―ひとりひとりの自由と平等に基づく「人間性の悦び」を開花させていくことが求められる時代に、いつまでも明治政府がつくった「近代天皇制」の思想ー宗教に呪縛されたままというのでは、しなやかで自由な人間の育成=ダイナミックな明るい未来をつくることはできません。

A級戦犯が合祀されているから靖国が問題なのでありません(クリック)。明治政府がつくった「国家神道」の思想に基づいて、全戦没者を祀る(戦死者を有無を言わせず天皇制国家の集合神とする)ことが問題なのです。もし、この思想をいまもなお認めるとしたら、間違いなく日本は世界の孤児になる他ないのです。

武田康弘


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