思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

恋知の営みー思想なき人間とは?/二世議員が大手を振るうー安部の政権構想

2006-07-25 | 恋知(哲学)

恋知としての哲学のない二世議員のお坊ちゃんが大手を振るうわが日本に、未来はあるのでしょうか?
思想のない小泉純一郎に続き、安倍晋三が、どうやら次期首相のようです。
保守主義というよりほとんどウヨクのような精神構造しか持たない人物を自民党の若手!?という名の愚かな議員たちが担いでいる図は、馬鹿らしく醜く、見られたものではありませんね。ほんとに(笑)。

既成秩序・既成道徳に抵抗しない者は、悪魔に魂を売った者だ、とは、詩人(文学者)にして枢密顧問官であったゲーテ(写真)の言葉です。たしかに、権力や金力に寄り添い、古い社会への郷愁しか持てない保守主義の政治家やウヨク「思想」家を支持するテイタラクでは未来は開けません。

明治がつくった「天皇教」という擬似的な一神教に戻ることを主張する「靖国神社」に絡みとられる政治家とは、ただの能天気にすぎませんね。

安部が政権構想を発表していましたー靖国神社の肯定と集団的自衛権の行使―憲法改定を目がけるというものです。天皇教=靖国思想を心の拠り所に、アメリカ、ブッシュのネオコン思想を真似し、それに追随するという、まさに思想なき二世議員にふさわしいお粗末。

豊かな思想を育むという人間のよき生にとって何よりも重要な営みを忌み嫌い、政府―官僚が作成した既定路線にしたがって生きることがあたかも善であるかのような想念に縛られ、意味論抜きの事実学による平面教育を受けてきた「優等生」が生み出すものは、大なり小なりこの程度の代物にすぎません。(「心幹・頭幹・体幹の弱い日本人」)。

思想なき人間は、昆虫に過ぎないのです。
恋知(哲学)することで、自分の価値意識を明晰化し、自他にとってほんとうによいこと(善美)は何か?を追求する思想構築のない人間では哀れです。

下のブログにも書きましたが、愛国心の強要や伝統主義という保守主義のイデオロギーによる洗脳のような教育をよしとするなら、この国はほんとうにお仕舞いです。

伝統とは何かを問わない伝統主義とは、為にする思想統制でしかないのです。一般に伝統と呼ばれるものに対して、それを受け入れる人・こよなく愛する人・違和を感じる人・否定する人・破壊し再創造しようとする人、様々な人が現れ、思い思いに発言・行動することで始めてよきもの=善美は誕生するのです。一方的な型はめは、人間の創造の力をその深部から消してしまいます。

伝統の破壊者こそが、伝統の真の継承者である、という逆説を理解しない平板は頭では、何事も成し得ません。明治政府が行った伝統の破壊を、もう一度破壊し、再構築しようというスケールで考えなければ、何ひとつ前には進めません。深く恋知(哲学)する営みによって強靭な市民主権思想―個々人から立ち昇る豊かなエロースの世界をつくり出したいものです。

そのためには、立体的に見、思考する実践を、私たち市民が、それぞれの生活の現場で創意工夫して行うことが何より大切だと思います。よく吟味し、深く納得できる考えを生み、それに従いつつ生きたいですね。情報を鵜呑みにしないこと、外に超越を求めないこと、これはよく生きるための原理です。一人ひとりの実存の奥深い内面の力に勝るものはないのですから。

具体的経験に照らし合わせて立体的に見る知=民知については、次の画面から更にクリックして見れられます。ぜひご覧下さい

武田康弘



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