人のために何かをしよう、人のために何かをしなければ、と言う人は、けっして人のためにはなりません。
一番警戒しなければいけないのは、「あなたの為に何かしたい」という人です。激しい自我の欲望が裏返っただけのことですから。他者を自分のものにしたいが為の言説に過ぎません。
他人のためというのも、自分のためというのも、共に「閉じられたエゴ」を満たそうとする営みです。根源的な不幸から抜けられません。
自分の心の感じ方を大切にし、自分の体をよき状態に保ち、自分の頭を鍛えていく・・・・自分自身の内側をよきもの=健康なものにしていく努力が、まわりの人や物への自然な心配りを生むのです。愛とは、自身の充足が生み出すものです。自己の欠乏がつくるのは、愛ではなく盗みです。「閉じられたエゴ」に他者を取り込むことでしかありません。
深い納得、心の底からの悦びを求める。よきものに憧れる。これが豊かな生を育む源です。
他人のため、あなたのため、と言うのは、不遜です。裏返って、自分のためというのも同じです。どちらも人間を「閉じられたエゴ」として見ているのです。決して他人のためにも自分のためにもなりません。必要なのは、「ために」ではなく、「気遣い」の心です。自他の心身を気遣うこと。
人間の心が健康=自然であれば、心は、よきもの・うつくしきもの・ほんとうのものに惹かれます。その状態が、自他への優しさ、配慮、愛、を生みます。
あなたのため、私のため、という言い方=発想仕方は、どちらも同じで、どちらも間違いだと思います。
武田康弘