以下は、昨日、ある人からのメールに返信したものです。
ご心配、ありがとうございます。
実は、今回ほどひどくはなくても、私は毎年、何度か風邪などで体調が悪くなります。幼少の頃から長いこと内臓疾患が続いたせいでしょうか、体調万全という日があまりないのです。いろいろ工夫して(生活仕方、栄養、運動、呼吸法・・・)生活してきました(私の肉体・筋肉の力―まだ20台の若者にも負けない格闘力からは想像できないと思いますが)。
恐らく、私の内部に「強い思い」=人間の生に対する豊穣なロマンと、人々の生き方・社会のありよう・形式主義の文化に対する激しい憤りがあり、それが内からフツフツと沸き上がるために、命が燃え、虚弱体質に抗し、克服してきたのだと思います。
私の場合、恋知(哲学)という無=自分の頭で納得がいくまで考え、実践することが、生身の私を支えているのです。恋知とは「学」ではなく、生体エネルギーそのもの・生体それ自体の知なのです。したがって、大学哲学は論外ですが、竹田青嗣さんの言うような「生きるための技術」というものでもありません。もっと深く生体と一体化しています。根源知―心身全体による知とでも言えばいいでしょうか・・・・
武田康弘
ご心配、ありがとうございます。
実は、今回ほどひどくはなくても、私は毎年、何度か風邪などで体調が悪くなります。幼少の頃から長いこと内臓疾患が続いたせいでしょうか、体調万全という日があまりないのです。いろいろ工夫して(生活仕方、栄養、運動、呼吸法・・・)生活してきました(私の肉体・筋肉の力―まだ20台の若者にも負けない格闘力からは想像できないと思いますが)。
恐らく、私の内部に「強い思い」=人間の生に対する豊穣なロマンと、人々の生き方・社会のありよう・形式主義の文化に対する激しい憤りがあり、それが内からフツフツと沸き上がるために、命が燃え、虚弱体質に抗し、克服してきたのだと思います。
私の場合、恋知(哲学)という無=自分の頭で納得がいくまで考え、実践することが、生身の私を支えているのです。恋知とは「学」ではなく、生体エネルギーそのもの・生体それ自体の知なのです。したがって、大学哲学は論外ですが、竹田青嗣さんの言うような「生きるための技術」というものでもありません。もっと深く生体と一体化しています。根源知―心身全体による知とでも言えばいいでしょうか・・・・
武田康弘