思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

自分のことは自分でしなさい。

2007-02-12 | 恋知(哲学)

自分のことは、自分でしなさい!
とは、よく小さいころ言われた言葉です。
最低限、自分のことは自分でする、できるようになる。それが大人になるということではないですか?
ところが、今の男の大人には、会社、役所、学校・・・に勤めに行くだけで、自分の衣食住の基本さえ満足にしない、できない人がいるようです。
ママにやってもらっていたことを、奥さんにやってもらう?バカバカしいもいいところですが、こんな偏った生き方をしている無能力者が、社会的地位にものを言わせて、人を啓蒙する!?という図は、愚かの極みです。それをありがたがって聴く人、読む人がいるとすれば、オメデタイとしかいいようがありません。

子育てをしていない人、したことのない人が、よい子育てとは?と論じる。
教育に主体的に取りくみ、よき成果を出したこともない人が教育について語る。
具体・現実の人間・社会問題を解決した経験もない人が政治家になる。
既成秩序の枠内でしか生きていない人が社会改革を論じる。
古い常識に縛られた生き方しかしていない人がこれからの人間や社会は?について説教する。
いまの日本は、自分が主体的にとり組んでいないこと・ろくにできもしないことに口を挟むという「お笑い劇場」でしかありません。表層言語を振り回すだけの批評家や学者や官僚や政治家、それにテレビ受けする現場人!?が大手を振るうというのは、悲劇というより喜劇です。こうした愚か者たちの集合が醸(かも)し出す空気に合わせて生きるのではあまりに哀しいです。

活字や映像やの情報に操作操縦され、また逆に操作操縦している気になって人も自分も騙(だま)すような生き方をしていると、生き物としての基本―衣食住という自分の身の回りのことさえろくに出来ない・しない人間になってしまいます(少し話しが逸れますが、それどころか最近は、運動・感覚神経の未発達な人間も増えているようです。幼少の頃から全身で遊ぶ・生きるという基本がないために、特定のスポーツは出来ても、体の芯が弱く、全身の神経連絡が悪くてギクシャクした動きをする人が多くなっています)。現代の日本の教育は、テスト勉強だけが出来る「おりこうさん」(本質バカ)を拵(こしら)えて、それを「エリート」と呼ぶ底なしの「狂気」に陥っているようです。私はわが国のこの集団精神疾患を「東大病」と呼んでいます。

ママにやってもらわないで、自分のことは自分でしましょう!(笑)。それができないと、助け合う・共に働くもできません。人間の関係性を広げる、とは言葉・概念ではなく具体的な行為のことなのですから。

武田康弘




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