思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「人のために、は間違い。自分のために、も間違い」へのコメント

2007-02-26 | 恋知(哲学)

12月5日のブログー「人のため、は間違い。自分のため、も間違い。 」クリックは、
よい人間関係をつくる基本条件についての私の考えですが、これに対して、未知の方からコメントを頂きました。私の補足的説明と共にお読み頂ければと思い、記事にします。


コメント

[ ヨウ ] [2006/12/06 11:22]
ハッとさせられ、教えられることが多い素適なメッセージでした。
日々の暮らしの中で、親子、夫婦、友人達との関係を振り返り、心して活かしていきたいと思います。
エゴではない良き関係性を保つには、それぞれに人としての精神的自立と自律がなければ難しいのでしょう。
一人ひとりが良く生き、心の内からの充足と喜びがあってこそ、配慮や真の愛が生まれ育つんですね。それを「道徳教育」や規則で無理矢理教え込もうとしても無理なわけですよね。

――――――――――――――――――――――――
[ タケセン ] [2006/12/06 19:33]
ヨウさん(女性の方ですか?)コメントありがとうございます。

私は、自分の「欲望」を見つめるところからしか「共生」も「愛」も生まれないと思っています。公共性・ルールも、欲望存在である人間を見据え、肯定するところからしか生じないと思います。人間の自己中心性の事実から逃げ、誤魔化せば、ウソと建前だけの世界に陥ります。自己中心性を引き受ける、徹底して引き受けると「奇蹟」が起きる(笑)。精神とは、そういうダイナミズムを本質とするのでしょう。
己の存在に耐えられるような自分として生きることができれば、最高!ですね。

―――――――――――――――――――――――――
[ ヨウ ] [2006/12/06 22:17]
自らの心の奥深くにある欲望を真摯に見つめ、しっかりと対峙することで己を知り、自他への「愛」や「思いやる心」を持つことが出来るのですね。優れた芸術文化には心の深部から発する叫びが凝縮しているように感じるものが多いです。うわべだけ取り繕っても真に人の心を打つものは出来ませんね。
「自己中心性を引き受ける、徹底して引き受けると「奇蹟」が起きる…」 そうですね、
楽ではないと思いますが、かっこつけずに誤魔化さずに真っすぐ生きたいと思います。ありがとうございました。

――――――――――――――――――――――――――
[ taro ] [2006/12/07 00:30]
いい話ですね。ホットします。私もそう生きていきたいと思います。

――――――――――――――――――――――――――
[ サイガミ ] [2007/02/25 17:09] [URL]
何のために?とか自分のため!とか考えてばかりの人生でした。衝撃を受けました。
この武田さんのメッセージに辿りついた自分は実にラッキーボーイだと宣言したいです。
変なエゴと他人の愛を無残にも踏みにじる恥ずかしい人生でした。
意識の広がる心地よい感覚がします。覚えるまで印刷して持ち歩きます。
ありがとうございます。

――――――――――――――――――――――――――
[ タケセン ] [2007/02/26 09:33]

サイガミさん、励まされるコメント、とても感謝です。

私は、日々の生活の中で(仕事や家事をし、人と関わり、新聞やテレビを見、本を読み・・・)感じるところ・思うところを見つめて、自分の頭で考えることを悦びとしています。

まったく未知の方にここまで感じ入ってもらえるというのは、ほんとうに嬉しいことで、励みになります。ありがとう。

(ついでに、私が提唱している「民知」とは、知のありようの変更、知への対し方の変更を訴えるもの。哲学の初心=恋知としての哲学とも言えますが、人が人として生きるためには何より大切な営み、と思っています。)

武田康弘。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする