思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ほんとうによい頭とは、【よろこび・たのしみ・おもしろみ】を生み出すもの

2007-03-05 | 恋知(哲学)

こどもたちを見ていると、強く思います。
人間は、ほんらい、よろこび・たのしみ・おもしろみを生み出す存在だ、ということを。
しかし中学生くらいからは、次第に既成の枠組みにはめられて、受動的な人間になっていきます。「生み出す」のではなく、「こなす」だけの存在になります。

意味を追求しない事実の暗記だけの机上の勉強と、連日の長時間の部活動における閉じた濃密な人間関係。これは共に個人としてのパワー・創造性・想像力・魅力を消去して、システムにはめ込まれた紋切り型の「つまらない」人間をつくります。
既存の行政システムに都合のよい「人間」!?経済的支配者に従う優秀な!?自動人形になるための人生に誘導するのが、ザ・ニホンシステム=「人間を幸福にしない日本というシステム」(ウォルフレン)だと言えましょう。

この受動人間=人間ならざる人間は、【客観神話に囚われた型の文化・権威主義・序列宗教】に意識の深部を侵されて、そこから脱出する気力もなく、システムが命じる役割をこなすだけの人生を死ぬまで続けるほかありません。【序列 内 存在】としてだけ生存を許された人間は、死ぬまでドレイなのです。これが私の言う【天皇教・靖国思想、東大病・官僚主義】です。白樺が主張する『民知』(恋知としての哲学)の運動とは、この客観神話に囚われたニホン主義をその土台から断つことを目的とした、頭の使い方・心のありようの根源的な変革の営みです。ほんらいの恋知(哲学)する力が、悦びを奪う非人間的なシステムを無価値なものとします。革命の中の革命ですね。

何よりも一番大事なのは、自分自身が、よろこび・たのしみ・おもしろみを生み出す存在になることです。他者から、具体的には、友人や、妻(夫)や、子ども(親)や・・・の生む悦び(プラスのエネルギー)を吸収して生きる吸血鬼のような「受動的な人生」をやめ、自分自身が悦び(プラスのエネルギー)を生む能動性を取り戻すことです。皆が幼いころの存在の輝き・力を取り戻そうという心・考えを持ち、そのための創意工夫をすると、互いの力は共鳴しつつ豊かに広がる世界をつくり、人間としての面白みのある人生を生き合うことが可能になるはずです。

既存のシステムの命じること、その枠内の価値意識に囚われた「優秀」な人間とは、本質的にはまったくダメな頭であり、優秀なのでありません。頭がいいのではなく、システムに呪縛された頭の構造になっているに過ぎないのです。間違った評価をしてはいけません。私が見るところ、ほんとうに頭がいい人は、学校の成績がさほどでない人の中にいます。受動性に過ぎない頭と心は、どんなに成績優秀でも、自分も周囲も幸福にしません。かえって困った事態・困難な問題を招来させるだけです。本質的には、頭が悪いからです。
ほんとうに優れている頭は、【よろこび・たのしみ・おもしろみ】を生み出すことができます。受動的に「こなす」吸血鬼もどきではなく、能動的に「生み出す」エロースの人こそが一番優れているのです。既成の評価・価値意識を覆し、自他によろこびを広げる豊かな人こそを評価し、賞賛・称揚しなければ、未来を開く可能性は消えてしまいます。

マイナスのエネルギーに満ちた受動性の人間と社会をチェンジ、といきましょう。恋知としての哲学=民知の実践で、主観性の知としての哲学を広げ、深め、豊穣な世界をつくりたいものです。
growing-young

武田康弘




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