思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

父の親友・植木等の死に想う。「愚禿」親鸞

2007-03-28 | その他

私の父は81歳で植木等より一歳年長ですが、旧制中学(文京区白山の京北中学・高校)時代からの親友でした(大学は東洋大学・哲学科)。

植木等さんのお父さんは三重県・伊勢の浄土真宗の寺の住職、私の父の親も浄土真宗の僧侶でした。父と植木等さんは、京北中学時代から一緒に檀家回りなどをしていたそうです。今で言えばアルバイトですね。文京区向丘の真浄寺(浄土真宗・大谷派)でのことです。
昨年亡くなった真浄寺住職の葬儀(父が植木さんに知らせました)には、酸素吸入器をつけて出席したそうです。植木さんは大変義理堅く、毎年お正月には必ず真浄寺を訪れていました。

植木さんのお経は、声がよく通り、大変聞き栄え?がしたそうです。
太平洋戦争時には、植木さんのお父さんは親鸞思想に則って「反戦」を掲げ、戦争政策の愚を説いて回ったために、官憲に捕まり拷問を受けたそうですが、気骨ある人で怯(ひる)むことはなかったとのこと。私の父の親はその時すでに他界していました。

「分かっちゃいるけど、やめられない」(スーダラ節)は、親鸞の言う「煩悩につかれた凡夫」―凡夫こそ救われるのだ、の現代版のような歌詞ですが、この歌の意味・価値を見抜いたのもお父さんだったようです。

人間のありのままの思い・姿を肯定する、肯定からしか「救い」は得られない、という究極の真理をつかんだ愚禿親鸞の思想については、以前、「親鸞思想の核心」(クリック)として書きましたので、ぜひご覧下さい。

朝廷から流罪に処せられ、僧籍を剥奪(はくだつ)された故に、愚かな禿(ハゲ)と名乗った親鸞の思想は、どこでもいつでも生きることができる、そんなことを昔、植木さんの活躍を見て感じたものです。南無阿弥陀仏。

武田康弘




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