思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

愛国心は強制が不可欠-国民は命を犠牲にして国家の連続性を守るべきー八木秀次(安倍首相のブレーン)

2007-03-09 | 教育

道徳とはなんでしょう?
損得計算による言動や、強制による言動を道徳とは呼びません。
簡潔に言えば、
道徳の本質とは、【自分が自分に課す規範】のこと。自分の存在のありように対してどの程度意識的か?が道徳的価値の基盤となるわけです。
したがって、自己存在に対して非・反省的で、ただ上位者に従順に生きることは、最も非(反)道徳です。言動に対して自己責任が生じないからです。
第二次大戦の直前に、アメリカでつくられた映画『日本を知れ』の中で、「日本人には道徳は存在しない、ただ目上の人に従うだけである。」という件がありますが、これは、日本人の上意下達(「上官の命令は天皇の命令と思え」)の精神構造を指摘した言葉です。現在の日本でも事態はほとんど変わりません。いわく「先輩の命令には逆らえない」(スポーツ部活動でしばしば言われる)。

「愛国」という思想を教育現場で強制するというのは、その本質において道徳を潰す行為でしかありません。「新・教育基本法」に従わせることは、反道徳・非道徳な子どもを育てることにしかならないわけです。道徳とは、自分が自分に課す規範である限り、他者(政府・行政・学校)による強制は、その時点で道徳に反する行為だからです。これは原理であり、反論は不可能なはず(反論可能と思う人は反論してみて下さい)。

安倍首相にブレーンであるとされる八木秀次の言説は、まさに教育現場に【反道徳精神】を持ち込もうとする主張でしかありません。一昨日の東京新新聞から以下にその発言を写しましょう。

「現行憲法は、敗戦の産物として日本の歴史から切り離されて生まれたもの。前文はジョン・ロックに倣って、個々人の生命、自由、財産を守るために国家をつくったという論理を展開している。しかし、それでは国防は説明できない。国防とは、国民が生命さえ犠牲にして国家の連続性を確保すること。本来、国家とは観念的なもの、国家や国民、愛国心という観念を共有し、次世代に継承するには、強制が不可欠。歴史的名場面を子どもたちに「読みなさい」「考えなさい」と教える。」(八木秀次・3月7日の東京新聞・朝刊30面トップ)

愛国思想の強制という主張は、極めて反・道徳的であり、反・人権的ですが、このような前時代的な「国体思想」を振り回す八木秀次という男は、安倍首相の有力なブレーンなのです。
子どもたちを政府による「思想教育」(これでは北朝鮮と同じ!)から守るためにも、タカ派の安倍グループには早々と退場してもらわなければいけません。

武田康弘




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