思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ある理念が生まれた理由と、ある理念を生む理由の探求ー哲学の仕事

2007-03-31 | 恋知(哲学)

生活世界における個々人の生々しい声(黙せるコギトー)・心の本音、
学として理念化される前の多様な想い、
社会生活の中で失っている赤裸々な自己意識、
これらを一言で「実存としての意識」ないしは、「生の現場」と呼びましょう。

哲学の中心的な仕事は、
さまざまな「理念」が生まれた理由を「実存としての意識」(生の現場)に戻して、そこから分析するものであり、また、ある理念をつくる時には、それがどのような「実存としての意識」(生の現場)に応えるためなのか?を明らかにすることです。

「学」や「理論」以前のありのままの「心」を知ろうとする営み抜きには、「理念」は理念としての意味と価値を持ちません。理念を生きた有用なものするには、生の現場=実存としての意識の場に戻しての考察が必要で、それが哲学するということです。ある前提=知識から哲学することはできません。生の現場を体験抜きに知識で見ることはできないからです。

哲学(恋知としての哲学)する営みが弱ければ、人間の生・この世のすべての営みは砂上の楼閣で、後には何のためかは分からない「理念」、意味のない「技術」、知の廃墟、さらに厳しく言えば、人を生きながらにして死者とするシステムが作られるのみです。

以上は、理念主義=哲学主義に陥らずに、生きて恋知(哲学)するための原則ですので、しつこく!?確認してみました。

武田康弘





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