思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

市民の英知を集める?ー「白樺ML」公開

2007-09-09 | 社会思想

「白樺ML」の公開です。


議員(政治家)の「対話を通し、市民の英知を積極的に集めていくこと」という言い方=考え方は、一見よいように思えるかもしれませんが、実は、重大な問題を孕(はら)んでいます。

まず、「英知」というのは、深い知恵のことであり、技術知や情報知ではないのですから、それを誰かが「集める」ことはできないのです。
体験に根差した知恵やよく吟味された思想=英知とは、人や物や自然や事象に深く関わって自ら獲得するものであって、単に「知る」ことは出来ません。

したがって、もし「英知を集める」ことが出来る人がいるなら、それは人間を越えたスーパーマンのような存在ということになってしまいます。英知とは己が獲得するものであり、集めることは不可能です。

こういう言い方が出てくるのは、自分の実存を基底に据えて生きていない証拠です。自分が自分として主体的に生きるということができないと、どこか「外」からの発想・言い方になり、生の基本が「戦略的」(本質から逸れて曲がる)になってしまいます。それでは悦びがひろがりません。

わたしが福嶋浩彦前我孫子市議・前市長とともにすすめてきたのは、「ひとりひとりの市民の英知で直接参加民主主義を広げよう」(『緑と市民自治』紙(新聞折込で我孫子市全域に配布)という理念ですが、これは、【市民の英知によって市政を進める】という思想であり、「政治家が英知を集める」(不可能です)などという発想とは全く無縁―180度逆の発想です。その理念を生み出した政治哲学は、直接民主主義がほんらいの(価値の高い)民主主義であるという思想です。代議制は致し方ないものであり、だからそれを補うためにさまざまな創意工夫が必要なわけです。

市民の要望や意見を聴くーそれを集めるというのならよいですが、英知を集めるという発想―言い方は本質的な錯誤でしかないのです。

議員は、「対話は通じて自分自身を少しづつ鍛えてく」という基本姿勢が必要で、そういう基本姿勢と営みの上で、市民の一般意思の代行者(断じて代表者ではない)の仕事が可能になるのです。市民の意見をまとめていくコーディネーターの役目もその土台があってこそ可能になるわけです。

武田康弘





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