思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

死者への態度が本音をあらわすー「自由民主」と「靖国=国体思想」

2007-09-15 | 社会思想

自由とか民主とか言いながら、靖国(国体)思想を振りかざす「靖国神社」を支持するというのは、論理的にはメチャクチャです。なぜこんな矛盾した言動を多くの政治家はするのか?わたしには全く意味不明です。このブログは、国会議員の方にも読まれているようなので、どなたかにきちんとした説明をして頂けたらありがたいと思います。このような誤魔化しを続けているようでは、新たな日本の未来を拓くことなどできるはずはないでしょう。「靖国でよい」という点では民主党の党首である小沢一郎も同じです。

明治政府がつくった、したがってわずか百数十年の歴史しかない「新宗教」(政治と直接結びついた国家神道)の総本山、天皇現人神(てんのうあらひとがみ)という思想を持つこの靖国という宗教は、どう考えたところで、自由や民主主義とは二律背反でしかありません。

いまなお靖国=国体思想を主張する明治政府作成の「神社」、戦前の「国民教化」(天皇史観の徹底)という洗脳教育を象徴する「靖国神社」は、天皇主義の洗脳思想教育によって犠牲になった人々の霊を慰める場所としては、一番ふさわしくないところです。「現人神=天皇陛下のため」と言われて戦争に駆り出され戦死した若者たちをほんとうに弔う気持ちがあるのなら、戦前の国体思想を掲げる「神社」にその御霊を独占させておくことなどできるはずがありません。【洗脳教育に始まった国家の戦争政策】の犠牲となった人たちの霊をほんとうに弔うには、政府の責任で公立の追悼施設をつくる他に道はないのです。なぜ、こんな簡明なことを国会議員は理解できないのか?いつまで御霊を放置しておくのか?わたしは激しい憤りを持ちます。もう戦後60年以上がたつのです。死者をどのように弔うのか?そこに人の心の本音が表れる、とわたしは見ています。もし、真に一人ひとりの生の悦び・幸福を願う心を持ち、何よりも大事なのは一人ひとりの人間の存在=実存であることを思う思想を持つならば、死者をなお靖国=国体思想の下に縛り続ける残酷な行為に加担できるはずはありません。

自然豊かな水の国、自由と民主主義の国にふさわしい公立の追悼施設をつくり、反戦への誓いをしない限り、日本人の真の再生はないはずです。わが国は、15年戦争という恐ろしい戦争政策を官民一体となって推し進めたわけですから、それを支えた思想(靖国=国体思想)をきちんと清算しなければ、美しい未来はつくれないーわたしは強くそう確信しています。人々の生と政治の一番根っ子にある問題を避けて通れば、永遠に不幸です。

武田康弘




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