思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

国敗訴=国が負けた!?NHKの困った日本語。

2009-06-01 | 社会思想
そこに住む人々が、自分たちの意思により、自分たちでお金を出し合って国家をつくる、それが近代民主主義社会における国家の本質であり、主権在民の意味するところです。

ところが、

NHKのニュ-ス番組では、いつも、「国・敗訴」、「原爆被害者・勝訴」などと言い、テロップが流れます。また、国が認めた、国が準備した、などもよく使われます。

これでは、国と市民が別に存在するかのごとくです。まず国があり、それとは別に市民がいる!?古代国家では、王がいて王の存在や意思が国であったわけですから、国と市民(この場合は臣民)は分立した存在だったと言ってもよいですが、主権者が市民である民主主義国家ではその認識は明白な誤りです。

わたしやあなたが国家をつくっているのであり、わたしやあなたがお金を出し合って政治家(=代行者)を雇い、官僚(=国民サービスマン)を雇って、実際の国家運営をする。従って、雇うもの雇われるものの双方に責任が生じる。それが市民社会=民主主義社会の原理です。わたしたち市民・国民の集合意思が国家をつくっているのであり、それとは別に国家が存在する(例えば天皇を中心とする国体)という思想は認められない。これが近代民主主義の原理です。ルソーに倣っていえば、この原理を承認しないものは国家から追放されるべきだ、ということになります。

以上は、中学生でもきちんと勉強している子どもなら当然踏まえている社会原理です。

ところが、NHKのニュースは、上記のようにいつもおかしな考え方=言い方を公共の電波で流し続けています。これでは公共放送の資格はありません。

誤った見方を生む公共放送では困ります。「国が敗訴」と言ったのでは意味が分かりません。NHKは、国という言葉を民主主義における国家とは異なる意味で使っていますが、行政や政府を国と呼ぶのは、市民の意思が国をつくっているという基本認識を曖昧化させ、不分明にしてしまう言い方です。国敗訴ではなく、行政が敗訴とか、政府側敗訴とか、厚労省敗訴とか、きちんと意味が分かるように表現すべきです。国という概念を誤らせる言い方は、極めて困った問題です。行政機関を相手に市民が裁判を起こすのは、行政の判断や行為が「公共性」に欠けていると考えるからであり、国を負かすため!?ではありません。

2009.6.1武田康弘
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