主権者である国民に委託され、国の行政を担当する各行政機関は、ほんらい【市民的公共性】を現実のものとするために働く組織です。日本国憲法第15条の、「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とは、そういう意味です。
ところが、実際はしばしば「市民的公共生」から遊離し、組織のため・官僚の個人的利益のため・一部の企業や団体のために働くことがあります。
そういう場合、市民は行政機関や政府の方針・言動を、市民的公共性・公共善に欠けるものとして批判し、また行政訴訟を起こすわけです。
したがって、市民は、「現政府や行政機関」の方針・言動を批判するのであり、「国」を批判するのではありません。政府や行政機関を批判することを、国を批判するというと、現政権のもつ思想やありようを批判することは「反日」だという見方を導いてしまいます。これは、とても不幸なことです。
行政機関が国を代表するのではなく、市民の集合意思が国を代表するのです。その集合意思(=市民が公共善だと考えること)に従って市民サービスをするのが各行政機関なのです。市民が公共善を追求して得られた意見の集合が国の意思なのであり、行政の意見が国の意志なのではありません。それでは主客が逆転していて、主権在民の近代民主主義国家とはいえないのです。
公共放送と呼ばれるNHKが、誤った考えやイメージを流布するような言葉の使い方をするのは、大変困った問題です。
武田康弘