足利事件
冤罪ほど酷い犯罪はありませんー警察官・検察官・裁判官は猛省し、責任を取るべきです。
警察と検察の人権意識の希薄さには、唖然とするほかありませんが、裁判所もまた極めて人権意識の低いこと、ただ呆れ返るのみです。これほどまでに冤罪が日常化している国をはたして民主主義国と呼べるのでしょうか?
著名な日本社会の分析者・ウォルフレンが言うように、日本の民主主義は形式だけで、中身は「官僚独裁国家」でしかないとしたら、悲しく不幸なことです。
犯人でない人を犯人として監獄に閉じ込めることがどれほど恐ろしいことか、どれほど残酷なことか、どれほど酷いことか、その痛みを感じない人が「国民全体の奉仕者」だとしたら、ほんとうに背筋が寒くなります。弁護側が新証拠を提出しても無視し続けた裁判所とはいったい何なのでしょうか?公共的な怒りを覚えます。当然ですが、責任者は厳正に処分すべきです。
更に、冤罪を引き起こす警察、検察、司法の官僚制度自体にメスを入れる必要があります。警察、検察を監視するオンブズマン制度をつくることは必須ですし、また、行政及び司法官僚とそのシステムを監視するために、国会の「行政監視委員会」の活動を強めることも必要です。言うまでもなく、主権者=市民の利益を守るのは国会の責務だからです。
繰り返しますが、
確たる証拠もないのに「犯人」と決め付け、暴行を加え、精神的苦痛を与えて「自白」を導く警察官、 それをそのまま追認する無能力かつ無責任な検察官、新証拠を認めず、検査結果も握りつぶす裁判官。こういう人たちが、大手を振るい、高い給料を取り、なんの処分も受けない、あまりに酷い彼ら官僚=国家公務員の姿に怒りを覚えない人がいるでしょうか。
「お上」という想念に支配されているために、人間としての「良心」が働かない。こういう不遜な意識が生じる発生源を元から絶たなくては、再生は永久に不可能です。ほんらいは国民のサービスマンであるはずの官僚が、主権者のような顔をする。これではいつまでたっても「主権在民」の市民国家にはなれません。ほんとうに嘆かわしいことです。
武田康弘
冤罪ほど酷い犯罪はありませんー警察官・検察官・裁判官は猛省し、責任を取るべきです。
警察と検察の人権意識の希薄さには、唖然とするほかありませんが、裁判所もまた極めて人権意識の低いこと、ただ呆れ返るのみです。これほどまでに冤罪が日常化している国をはたして民主主義国と呼べるのでしょうか?
著名な日本社会の分析者・ウォルフレンが言うように、日本の民主主義は形式だけで、中身は「官僚独裁国家」でしかないとしたら、悲しく不幸なことです。
犯人でない人を犯人として監獄に閉じ込めることがどれほど恐ろしいことか、どれほど残酷なことか、どれほど酷いことか、その痛みを感じない人が「国民全体の奉仕者」だとしたら、ほんとうに背筋が寒くなります。弁護側が新証拠を提出しても無視し続けた裁判所とはいったい何なのでしょうか?公共的な怒りを覚えます。当然ですが、責任者は厳正に処分すべきです。
更に、冤罪を引き起こす警察、検察、司法の官僚制度自体にメスを入れる必要があります。警察、検察を監視するオンブズマン制度をつくることは必須ですし、また、行政及び司法官僚とそのシステムを監視するために、国会の「行政監視委員会」の活動を強めることも必要です。言うまでもなく、主権者=市民の利益を守るのは国会の責務だからです。
繰り返しますが、
確たる証拠もないのに「犯人」と決め付け、暴行を加え、精神的苦痛を与えて「自白」を導く警察官、 それをそのまま追認する無能力かつ無責任な検察官、新証拠を認めず、検査結果も握りつぶす裁判官。こういう人たちが、大手を振るい、高い給料を取り、なんの処分も受けない、あまりに酷い彼ら官僚=国家公務員の姿に怒りを覚えない人がいるでしょうか。
「お上」という想念に支配されているために、人間としての「良心」が働かない。こういう不遜な意識が生じる発生源を元から絶たなくては、再生は永久に不可能です。ほんらいは国民のサービスマンであるはずの官僚が、主権者のような顔をする。これではいつまでたっても「主権在民」の市民国家にはなれません。ほんとうに嘆かわしいことです。
武田康弘