思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

冤罪ほど酷い犯罪はありません・官僚の「お上」意識が元凶。

2009-06-05 | 社会思想
足利事件

冤罪ほど酷い犯罪はありませんー警察官・検察官・裁判官は猛省し、責任を取るべきです。

警察と検察の人権意識の希薄さには、唖然とするほかありませんが、裁判所もまた極めて人権意識の低いこと、ただ呆れ返るのみです。これほどまでに冤罪が日常化している国をはたして民主主義国と呼べるのでしょうか?

著名な日本社会の分析者・ウォルフレンが言うように、日本の民主主義は形式だけで、中身は「官僚独裁国家」でしかないとしたら、悲しく不幸なことです。

犯人でない人を犯人として監獄に閉じ込めることがどれほど恐ろしいことか、どれほど残酷なことか、どれほど酷いことか、その痛みを感じない人が「国民全体の奉仕者」だとしたら、ほんとうに背筋が寒くなります。弁護側が新証拠を提出しても無視し続けた裁判所とはいったい何なのでしょうか?公共的な怒りを覚えます。当然ですが、責任者は厳正に処分すべきです。

更に、冤罪を引き起こす警察、検察、司法の官僚制度自体にメスを入れる必要があります。警察、検察を監視するオンブズマン制度をつくることは必須ですし、また、行政及び司法官僚とそのシステムを監視するために、国会の「行政監視委員会」の活動を強めることも必要です。言うまでもなく、主権者=市民の利益を守るのは国会の責務だからです。

繰り返しますが、
確たる証拠もないのに「犯人」と決め付け、暴行を加え、精神的苦痛を与えて「自白」を導く警察官、 それをそのまま追認する無能力かつ無責任な検察官、新証拠を認めず、検査結果も握りつぶす裁判官。こういう人たちが、大手を振るい、高い給料を取り、なんの処分も受けない、あまりに酷い彼ら官僚=国家公務員の姿に怒りを覚えない人がいるでしょうか。

「お上」という想念に支配されているために、人間としての「良心」が働かない。こういう不遜な意識が生じる発生源を元から絶たなくては、再生は永久に不可能です。ほんらいは国民のサービスマンであるはずの官僚が、主権者のような顔をする。これではいつまでたっても「主権在民」の市民国家にはなれません。ほんとうに嘆かわしいことです。

武田康弘

コメント (1)
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志賀直哉の小林多喜二への手紙ー入手の経緯

2009-06-05 | 白樺文学館
わたしは、白樺文学館の「誕生秘話」(2)で、
ブレイクの石版画を、2000年(平成12年)の『古書七夕大入札会』(明治古典会主催)で入手したことを記しましたが、
実は、この同じ入札会に、文学史上有名な、小林多喜二に宛てた志賀直哉の書簡も出品されました。わたしはどうしても落札したいと思い、八木書店の取締役で古書部の店長である八木朗さん(※注1) にその旨を伝えました。

毎年7月に行われる「古書七夕入札会」は、個人で入札するのではなく、こちらが指名する業者(明治古典会会員の古書店・三十数社の内)に入札を依頼するシステムになっています。会場は、神田小川町の東京古書会館です。

ベテランの八木さんに託しましたが、落とせるかどうかは蓋を開けてみなければ分からないので、ドキドキです。後は祈るのみでした。結果はわずか8000円の差で(二百万円以上での8000円!です)入手できました。ホッとして全身の力が抜けたのを今でも覚えています(「競り」ではないので、落札できるかどうかは、文字通り蓋を開けるまで分からないのです)。
以上が、入手の経緯です。

ところが、

5月27日(水)の朝日新聞・「ニッポン 人・脈・記」に、白樺文学館オーナーで二代目館長だった佐野力さんのインタビュー記事として、朝日の早野透さんは、2001年9月より館の運営を佐野さんから任された渡辺貞夫さん(小樽商科大学の同級生)を紹介した後に「この人の快挙は、志賀直哉が小林多喜二に書いた手紙を館の宝にしたことである(※注2)『売りに出たのを、いくらかかっても手に入れたいと競り落としました』と佐野。」(5月27日朝日新聞)と書いています。

これでは、「この人」(ふつうに読めば渡辺さん、全体の文を見ると佐野さん)が入手したことになってしまいます。どうしてこんな「ストレートな嘘」が新聞記事になるのか?また、佐野さんの発言にある「競り落とした」というのも間違いです。とにかく「歴史の改ざん」はよくありません。今年4月1日から我孫子市が税金を使って運用する施設に変わったのですから、「事実」をそのまま伝えることが必要です。結果としてではあれ、公共の文化施設が「つくり話」を流布することになったのでは困ります。



(※注1)八木書店ー千代田区神田神保町1-1.八木朗さんには、わたしがお願いして2001年1月1日の白樺文学館開会式にも出席して頂きました。

(※注2)渡辺貞夫さんという方は、白樺文学館の創成時(1999年2月~2001年1月)においては、文学館とは何の関わりもなく、わたしがはじめて彼の存在を知ったのは、開館から半年後の2001年7月でした。9月から二代目館長に就任することになった佐野力さんが、運営を任せる人として私に紹介したのです。


武田康弘

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以下は、コメント欄のコピーです

文学館の歴史について (荒井達夫)

渡辺貞夫さんは、現在、文学館の顧問(公務員)です。市民の税金で報酬を受けながら、自らが担当する市の文化施設の歴史について嘘の話を伝えることは、違法であり、許されません。朝日新聞社に対して、ご本人が訂正を申し出るべきです。
我孫子市白樺文学館条例は、文学館を市の施設とする目的を「市民の文化の向上に寄与するため」と規定していますが、そのためには、文学館の設立の経緯について市民に正確に伝えることが不可欠です。文学館の顧問がこのような状況では、条例目的の達成はまったく不可能になります。市の担当部局も、放置しておくことは許されません。速やかな対応を求めます。
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武田さんはなぜやめられたのですか? (黒古寿夫)

2009-06-17 11:50:36
白樺文学館はその性格がよくわからない存在ですね。

「文学館」といいながら、文学にはあまり興味なく、陶芸の比重が高いように見えます。

それにしても武田さんはなぜ、館長をやめられたのですか?
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お応え (タケセン)
2009-06-18 00:44:50

わたしが館長を辞したのは、オーナーであった佐野力さんとの基本姿勢の相違からですが、 『白樺文学館創成記』の「誕生秘話」をお読み頂ければと思います。よろしければぜひご覧ください。


コメント (3)
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