今日、上野の国立博物館で、長谷川等伯没後400年展を見てきました。
これだけの作品を一度に見られるとは驚きです。
高校生の時「松林図屏風」をみて全身に鳥肌が立ち、その奥深い美に魅了されてから40年、わたしにとって最高の日本画家は、ずっと長谷川等伯でした。今日、その全貌を見て、震えました。
繊細と大胆、自由と様式、柔軟と硬質、写実と抽象、伝統と革新、めくるめく多彩な世界です。抽象やシュールまである!
この凄まじいばかりのエネルギーはどこから来るのか。
繊細で優しい世界と、剛毅で強烈な世界と、夢幻的な世界とが一人の人間によって描かれている。この空と間の絶妙の構図は、世界のどこにもないもの。深遠かつ平明。
ぜひ、長谷川等伯という衝撃を経験されることをお勧めします。来月22日までです(クリック)。
武田康弘
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異端の匂い (C-moon )
2010-02-25 15:51:03
”繊細と大胆、自由と様式、柔軟と硬質、写実と抽象、伝統と革新、めくるめく多彩な世界です。抽象やシュールまである! ”
”繊細で優しい世界と、剛毅で強烈な世界と、夢幻的な世界”
まさにアンビバレントの世界ですね。
僕は激しくアンビバレントに惹かれています……もちろん等伯にも。
ほぼ同時代に活躍した等伯、利休、織部。
この三人にすごく興味があります。それは正統に対する異端の匂いみたいなものを感じるからです。
この中で、利休は正統として称賛されていきますが、利休の魂は、どこか孤独で異端であったのではないかと感じています。
利休に大きな影響を受けた織部も、利休と同じように切腹に処せられるという壮絶な最期を遂げ、そこに至る経緯にも異端的なものを感じます。
等伯の晩年も必ずしも恵まれていたわけではなく、一斉風靡した三人ですが、三人とも生き方、取り組み方、求め方の根底にあるものが、必ずしも当時のパトロンたちに歓迎されていたわけではないように思います。
作品や作風は異様に愛されたけれど、孤高に彩られたものだった……
それが三人の作風の底に流れているのではないかなと感じます。
特に等伯は、当時の主流とも正統とも言える狩野派に損なわれていたし、出生地の能登は、当時の異端的な宗教、日蓮宗でもあり、等伯も熱心な日蓮宗徒だったと聞きます。そうした正統に背を向ける精神的土壌が、必然的に培われていた……僕の勝手な推測ですが。
以前、金沢で等伯の作品を見ながらそんなことを感じました。
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おおいなる指針(タケセン=武田康弘)
よいコメントをありがとう。
今回の没後400年展には、等伯の宗教画、巨大な釈迦涅槃図をはじめ、日蓮の肖像画なども多数展示され、信仰の力が創作の背後にあったことが分かります。鎌倉時代の宗教革命(法然、親鸞、日蓮)は、知恵の宗教であった仏教を万人の「救い」に力点を移すことで「民」のものとし、巨大なパワーを得ました。その後の安土桃山時代には、この新仏教が大きな勢力を持ちましたが、自由で人間味あふれる「異端」の文化の開花は、ほんとうに血湧き肉躍るものですね。
わたしは、言語中心主義による「事実学」の累積が価値だとする知のありようを、イマジネーションに基づく「意味論」としての知に転換すること、換言すれば、「客観主義の知」(試験知)から「主観性の知」(民知)への価値転倒をはかることで、文化・文明の転回を実現したいと思っています。鎌倉時代の偉大な宗教者たちとその後の「異端」の文化創造者たちは、そのための大いなる指針になると思います。