思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

休みなく動く・働く人間をつくるという教育思想=部活主義=個人性の消去。わが国の貧しさ。

2011-08-10 | 教育

中学校の部活(運動部)の実態は、まるで戦時中の月月火水木金金です。自分の時間を持つこと・余裕をもつことは「悪」であるーそういう貧しい思想が蔓延し、教師も生徒も、夏休みもやすみません(やすめません)。

自分の時間を自分の趣味のために自由に使うことで生まれる「個人性」を消去するー「天皇教」とも呼ばれる日本人の「集団同調主義」(「レジャーでさえ、日本人は、どこへ行き何をするかが決まっている」ウォルフレン)は、貧しい教育思想が生みだす「部活主義」と「受験主義」によって作りだされています。

私が生きる、私から始まる生を創造する、という人間的生の基本がなく、昆虫のような集団同調を求められる国では、頑張れば頑張るほど、個人性・個々人の輝き、個人から立ち昇るエロースを失わせてしまいます。

その意味で、「体育会系」と言われる単純バカが多い集団スポーツの世界で、なでしこジャパンの人たちが見せた「個人性」は、大きな救いです。彼女らの発言・行為は、日本人には珍しく、それぞれの「私」を強く感じさせます。

中学校の教師のみなさん、
あなた方のしている行為―月月火水木金金というやり方は、強く豊かな個人性=主観性に立脚しなければならない時代に逆らい、古い封建的な日本人をつくりだそうとする有害な努力でしかないことを知らなければなりません。まずは、自分がやすみをとり、自由時間をつくることです。夏休みまで部活で消耗していたのでは話になりません。

また、旧態依然の想念・道徳観に基づく『教育委員会』(東京都教育委員会の権力主義などは戦前と変わらず、愚かの極み)やそれを支える『文部科学省』の役人たち(頭の悪い惰性者)の思想は、上下倫理であり民主的倫理に反します。個人性を抑え込むことをよしとする思想は、人間の幸福を元から奪うのです。まさに根源悪としか言えず、「常習的殺人者」(竹内芳郎)と呼ぶほかないでしょう。猛省しなければ、救いはありません。

教師や官僚の皆さん、
人間は何のために生きるのか、哲学する人生をはじめてみませんか?


武田康弘


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コメント欄より

Unknown (林 毅)
2011-08-10 23:37:09

武田先生
先生のお考えに強く賛同いたします。
つい先日、元読売の投手・桑田真澄氏がテレビで「軍隊式の練習はもうやめてもらいたい」
元阪神の赤星氏も「スポーツは本来、楽しんでやるもの!」と申しておりました。特に桑田氏は様々な所でそう訴えているようです。

高校生も含め、夏休みの練習も1,2日程度の休みしかなく、顧問教師の顧問教師による地区大会優勝や県体出場、全国大会出場という極めて勝手な一方的な妄想により、物考えず物言わぬ生徒を作りだしているのが全国的な傾向でございます。

■スポーツ系のみならず吹奏楽等の文化系も同様でございますね。もう30数年前のことでサッカー部でしたが、湖北台中学校や我孫子中すなわち他校の校庭でも「気合が足らない」と言われ暴力を顧問教師から受けたこともございます。


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顧問教師のための部活 (武田康弘)
2011-08-11 10:15:22

林毅さん

確かに、「顧問教師の顧問教師による顧問教師のための部活」ですよね。

勝敗主義による型ハメ部活は、こどもたちの溌剌と輝く生・楽しくのびやかな生を殺します。上下倫理を植え付け、上位者に面従腹背するドレイ根性→無気力人間→ニヒリズムをつくり出すのです。
暗く、重く、権威に従い自分をなくす「情緒オンチ」「情動不足」の惰性態では悲しですよね。

自らが無批判的に既成価値に従うだけのドレイ的存在である教師は、ドレイの仲間を増やすことに日々努力する。こんな愚かな行為はすぐにでもやめなければなりませんね。教師(あるいは親)は、民主的倫理に則って、今までの自分を反省し、生徒(子ども)に謝罪し、償いをする必要があります。


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mixiコメントより

茶所博士2011年08月10日 20:44

 仰るとおりだと思います。中学・高校と部活を強制されて自由時間の削減としか思えなかったです。
 私自身、好きでもないのに強制だったから仕方なく水泳部に入って「やった」のですが、まあ、まじめにやるわけでもないし、結局顧問から首にされました。腹の中では「別にやりたかったわけじゃない。入れというから入ってやったんだ。こっちは首になったほうが清々するがな」と思ってました。こんな無理やりで物になるわけがないのに若いもんを遊ばせとくとろくなことにならん、と偉い連中は思ってるのでしょうね。
 やはり、戦後の教育改革以降、おかしな方向にはしっているのが我が日本の現状ですね。
 戦前の教育から一新されてより良い方向に進んでいる、と終戦直後の子供たちには思えたかもしれません。その後、奇跡とも言われる戦後の復興と高度成長期を支え続けた世代なので、私の両親は「教育を受けられることをありがたく思いなさい」と口をすっぱくして言います。
 しかし、私の中学時代には既に学級崩壊が始まっていて、不登校も増え始めていたし、教師たちの一方的な態度にも服従させられていました。それを「ありがたく思え」というのは納得できませんでした。
 
 なぜ、私と両親と教育に対する捕らえ方が違うのか、私が学校教育を通じて受けてきた心の傷を理解できないのか、長年疑問に思っていましたが、最近になってようやく謎が解けてきました。
 簡単に言えば、戦争中、沖縄や硫黄島で手痛い抵抗を受けたアメリカが占領政策の一環として教育制度を変えてしまい、教師の言うことに集団で服従させるような児童を養成させてきたからです。戦前のものは徹底的に貶められ、西洋的な価値観を植えつけるシステムです。
 これでは、先祖や伝統に敬意を払わないし、個性は否定されて天才が才能を発揮することもできないし、面従腹背の人間ばかり育って、誠意も責任感もない者ばかりが後に続いてしまうようになっています。
 でも、私の両親のような「ギブミーチョコレート世代」は疑問にさえ思わないのですから、問題は野放しのまま。既得権益にしがみつく教育関係者が変革を望むわけもなく、害悪を撒き散らしているのが現状なのです。
 日本の諸問題の原点がここにあります。

 先日の私の日記に書いた小学校教師みたいな輩が出てくるのも無理はないといえましょう。一応、断っておきますが、食事中には語れない内容ですので、飲み食いしながら読まないでください。

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タケセン2011年08月11日 00:01

茶所博士さんの原点が、学校教育とそれを絶対化する親への反発→批判にあることは、以前頂いたコメントからもよく分かります。

わたしは、日本の教育の問題は、民主制を徹底させる方向でしか解決しないと確信しています。民主主義を単なる制度の問題とするのではなく、生き方=民主的&実存的倫理として捉え、それを生きる以外はない、というのがわたしの見切りです。

大人も子供も、男も女も、この世界をつくるパートナーとして互いを遇する、この「存在としての対等性」こそが豊かなエロースを生む源泉であり、優れた社会をつくる基盤だと思うのです。

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よしくんぱっと2011年08月11日 06:57

>私が生きる、私から始まる生を創造する、という人間的生の基本(タケセンさん)

人間は暇でないとイカン、というのが私の人生観ですので、このコメントには大変同感です。

私は幸い、受験勉強だけでなく、学校の勉強というものをほとんどする必要が無い10代を送りました。また、当時は(今もですが)、部活に馴染めない体質でした。
そのときのことがその後の人生に及ぼした影響(良い意味で)は計り知れませんね。暇だと、自分で自分の生き方を創造しないといけなくなります。そこのところのエンジンが身につきました。
タケセンさんがここで批判されている環境に取り込まれなくて、私はほんとに良かったと思っています。

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タケセン2011年08月11日 09:47

よしくんぱっとさんの原点→成功の元は、一般の学校教育思想との距離の遠さにあることは、以前のコメントでよく承知しています。

「暇ではイカン」というのも、ある意味ではわたしも同じです。自分の時間を充実したものにするというのであれば、何より素晴らしいことです。

ここが核心なのですが、自分の時間をフルに活用する、ではなく、脅迫やまたは誘導されて自分が生きる時間を他者(教師や親)に支配されるのでは、「私が生きる、私から始まる生を創造する、という人間的生の基本」を否認されることになります。

ドレイがドレイの仲間を増やすような教育では、誰も幸福にせず、人間が生きる意味は、制度やシステムそれ自体を維持すること(官僚たちの惰性的生)という、笑えない笑話しにしかなりませんよね。

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よしくんぱっと2011年08月11日 10:40

私のモットーは「常に暇であること」ですワ(笑)。
私は、子供の頃にとても多くの暇な時間をもらえました。これの重要性を分かってもらえる人は少数派ですね。

以前、問題児の甥について相談させてもらったことがありますが、覚えていただいていますか?
その子が、昨日まで私の家(ワシントンDC)に居ました。そして滞在中にDC United(プロのサッカーチーム)主催のサッカーキャンプに参加して大活躍!
詳細は妻のブログにゆだねます。

http://ameblo.jp/nukuichimaki/entry-10981436748.html#main

この子は、日本の小学校では、先生から親に電話がかかってくる問題児です。それが、アメリカのサッカーキャンプではヒーロー。そして重要なことですが、それをコーチがポジティブに評価する。

ドレイがドレイの仲間を増やすような教育とは大違いです。

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タケセン2011年08月11日 12:43

ははは、読み違えです。 失礼。
うん、「暇」という言葉の意味の取り方の違いで、どうとも言えますね。

自分で何かをしよう、何かをしたい、という能動性をもつと「問題児」と言われる。よ~~く分かります。いい加減にしてくれ!ですよね。

受動的で、従う子だけがいい、というイデオロギーは、人間を腐らせます。こどものよさ・面白さが消えてしまいますが、それが歪んだ(死んだ)大人をつくります。


コメント (4)
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ブリヂストン美術館のDVDー近代絵画の名品

2011-08-10 | 趣味

『ブリヂストン美術館』が制作し販売しているDVDは、とてもよくできています。

石橋財団の誇る世界的な傑作絵画(フランス近代が中心)を紹介するDVDですが、優れた画質で、丁寧で分かりよい解説付きです。
全体像の後でアップされる細部の描写は、作品理解に役立ちます。
男性ナレーターの声は落ち着いた美声で、装丁も上質です。ヨーロッパ近代絵画の一つの頂点=セザンヌ晩年の《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》が表紙を飾ります。この名品もブリヂストン美術館の所蔵品です。

詳しい内容は、美術館のホームページにありますが、これで1000円は、ほんとうにお買い得。美術愛好家だけではなく、子供さんや学生さんのいる家庭にもぜひ。BGMのように流しておくと自然と興味が湧くでしょう。優れた絵画を繰り返し見ることは審美眼を養います。


武田康弘
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