思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

私が『田村哲夫氏が運営する渋谷教育学園渋谷校とは』を書いた経緯 古林治

2011-08-27 | 社会思想

以下のコメントが、コメント欄に載せられない(最初のurlの箇所で切れてしまう)というので、古林治さんからわたし宛てにメールで送られてきましたので、記事としてお載せします。内容が深く大事なものと判断しましたので。(武田康弘)



私が『田村哲夫氏が運営する渋谷教育学園渋谷校とは』を書いた経緯 古林治


学者を中心とする、“公共哲学ML”というメーリングリストがありました。公共哲学について議論を交わす場として設定されたもので、このブログの 主であるタ ケセンさんも参加していました。
ただし、このML、設立趣旨と違って誰も議論しようとしない場でした。また、特定の大学教授にのみ『先生』付けする序列の場でもありました。それ に対して、いつも問題提議をし、序列関係を廃した対等な議論を提唱するタケセンさんと、MLの運営責任者である千葉大教授の小林正弥さんとの間で ようやく少しだけ論争が始まりました。私が書いた批判も、タケセンさんがMLに流すことで私自身も間接的に論争への参加者となりました。

論争のさなか、MLメンバーの一人であった東大大学院哲学教授で唯一“先生”付けされる山脇直司さんが鈴木文部副大臣のレジュメを紹介しました。
http://www.shirakaba.gr.jp/minchi/library/library17.htm 『熟議』という言葉による啓蒙でした。ユルゲン・ハーバーマスという著名な社会学者の言葉を引合いに出し、『熟議』を薦めるという構図で す。現政権の一部閣僚らが使っている言葉です。ところが、これを提唱している学者さんたち自身、議論も対話もできない、しない人たちばかりでした ので、私には悪い冗談にしか聞こえませんでした。『熟議』以前に、まともな対話くらいしてみなさい、という気分です。思想とは、その人の生き方か らにじみ出てくるものであって、言葉にして表現すれば済むものではないのです。
また、それに加え、海外の権威(著名な社会学者)を頼みにして上から目線での啓蒙ですから、”気持ちが悪い”と感じたのです。まるで大手広告代理店が、海外の最先端の流行を引合いに出して、『これからは○○だ。』と煽るような構図です。

もう一つの批判は、このレジュメに出てくるリストに田村氏の名前があり、その点を問題にしたのです。田村氏は、文部科学省「熟議」の実践:熟議懇 談会のメンバーとして載っていました。また、中央教育審議会の主メンバーとして名をなし、この国の教育行政の指針に影響を与える立場にもいまし た。私はこれを見て、この国の教育の行く末に大きな危機感を覚えました。

タケセンさんを通してMLに流された二つの批判は、私の印象を極めて短い文章にしたものでした。
小林さんの反応は、『品性が無い、その上これをMLに流すタケセンさんは問題だ』、という指摘で内容についての批判ではありませんでした。私は、改めて、何故批判したのかを書くことにしました。その一つが、『田村哲夫氏が運営する渋谷教育学園渋谷校とは』であり、田村氏の教育観を 生々しく浮かび上がらせる目的で書いたのです。

ところが、この批判文がMLに投稿される前に、何の通知もなくタケセンさんはMLから小林正弥さんによって追放(登録の削除)されてしまいまし た。
この辺りの経緯は、下記のタケセンさんのブログを参照ください。
【小林正弥 メーリングリストの悲喜劇?(武田)ー税金での運用なので憲法違反です(荒井)】
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/30e9bce112334c33f12b9032e8845a8a
以下に、一部抜粋しておきます。
『わたしは、公共哲学mlの中で議論したところ、突然除名されました(驚)。この会の代表・小林正弥さん(千葉大学教授・NHK「ハーバード白熱教室」の解説者)が高く評価するサンデル教授の思想を批判し、同じく小林さん と近い関係にある鈴木文部副大臣のレジュメを批判する古林治さんのメールを転送したところ、3時間半後に、突然登録を削除されました。』(武田)

私が書いた批判文は、最終的に、小林さんによって公共哲学MLに流されましたが、それに対する反応は、何一つありませんでした。このブログを見て いるはずの山脇さんからも公式でのコメントはありません。


その後しばらくしてから、タケセンさんが自身のブログに、『田村哲夫氏が運営する渋谷教育学園渋谷校とは』を公開しました。この批判文が、現在の 教育が抱える本質的問題の一面を具体的な形で提示していると考えたからです。
哀しいことですが、生々しい具体的現実を前にしない限り、私たち日本人は真剣に考えようとしません。フクシマの悲惨な事件が起こるまで、ほとんど の日本人が原発について真剣に考えようとしなかったように。この機会に、多くの人が現代の教育が抱える深刻な問題に真剣に対峙して欲しいと願っています。


参考:公共哲学論争に関して興味のある方は以下を参照ください。
    【「公共」をめぐる哲学の活躍 ‐‐ これですべてがわかる!!】(武田康弘著)
    http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori127.htm


古林治
コメント (34)
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