思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

なぜキリスト教は、日本に入れないのか? 

2011-08-12 | 恋知(哲学)

わたしたち「ふつう」の人間(凡夫)は、さまざまな欲望に(五欲)に憑かれ、さまざまな「悪」をおかし、悩み、また苦しみます。
そうだからこそ、死後の極楽浄土は約束されているのです。

阿弥陀仏は、苦しみの多い凡夫(ふつうの人)を一人残らず救うための大願をかけて下さった。ゆえに我々は心の中で「南無阿弥陀仏」を唱えれば、みな等しく救われるのです。

これにより、死後に対する心配や恐れはなくなりましたので、【現世】(この世)のことは、対等な存在であるわれわれ自身が「自らの自由と責任」で話し合って決めればよいのです。阿弥陀仏の前には特権者は一人もいませんから、「ご同胞ご同行」の精神で、対話し議論しながら共に生きるのです。

この法然・親鸞・一遍の「他力本願」思想には、晩年のハイデガー(20世紀ヨーロッパ哲学の雄)も驚愕し、親鸞の前に跪いたのですが、わが国が生みだしたこの絶対他力の思想は、「原罪」の前に怯えるキリスト教思想を超えています。

法然・親鸞・一遍の「他力思想」があるために、世界を席巻してきたキリスト教も日本には入れない、わたしはそう見ています。真宗・浄土真宗は、わが国最大の宗教ですが、「他力思想」の偉大さが現代日本において明瞭に意識されれば、われわれは現実次元において巨大な能動性を発揮するはずです。それは、世界の哲学・宗教と現実世界を変える力を秘めています。


武田康弘


翌日のブログが続きのようになりましたので、併せてご覧ください。
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