思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

今日は15年戦争の始まった日。決定的な昭和天皇の関わり。

2012-09-18 | 社会思想

今日は、15年戦争の始まった日(1931年9月18日)です。
柳条湖事件(関東軍が南満州鉄道を爆破した謀略・中国軍の仕業だとして一斉に中国への侵略を開始)の起きた日です。81年前のこと。

明治憲法下で主権者であり軍隊の統帥権をもつ「現人神」であった昭和天皇(裕仁)は、謀略の計画者&実行者の青年将校たちの独断専行(『昭和維新』を掲げたクーデターに近い行為)に対してストップをかけることをせず、軍が政府への不服従行為を続ける結果を招きました。

この年の暮れに、裕仁(ヒロヒト)天皇は、当時の首相兼外務大臣であった犬養毅に「錦州不攻撃の方針」と「国際間の信義尊重」を指示しましたが、関東軍が錦州に進駐し日章旗が掲げられると、年明け(1932年の1月8日)には【関東軍に賜(たまわ)りし勅語】を出しました。その内容は、「中国の蛮族と自衛のために勇敢に戦い、皇軍の威武を中外に宣揚した」と『昭和維新』を掲げる関東軍を褒め称えたもので、これは、ラジオと新聞により広く国民(当時は臣民)に伝えられました。

現人神(あらひとがみ)であった昭和天皇ヒロヒトのこの言動により、犬養首相の「政府に従わない軍の規律を回復する」という努力は意味のないものとなったのです。犬養は、この年の5月15日に「日本主義による国政革新」を唱える青年将校たちと民間右翼により暗殺されます(5.15事件)。

天皇は、以後数年間にわたり満州事変や上海事変に功績のあった軍人や官吏(官僚)約3000人に勲章を与え昇進を認めましたので、国民はみな軍人の中国侵略(満州国建国)に熱狂することになったのです。


以上は、現代史の核心的な出来事ですが、知らない人が大勢います(長年にわたる事実を隠し意味を教えない教育の成果です)。それでは国際問題について考えることも語ることもできません。都合の悪いことを隠ぺいする教育は北朝鮮と同じです。文部科学省の役人や文教族の国会議員は猛省し、日本人と中国人韓国人をはじめとするアジアの人々に陳謝しなければなりません。


武田康弘

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