思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ジョナサン・ノット・東響 おそるべし。ブルックナー交響曲5番  ミューザ川崎

2017-05-21 | 芸術

 おそらく繰り返しの世界記録のようなブルックナー5番が始まった。ピーンと張り詰めた空気の中で、次々と現れる音型を追うのは快感だ。一楽章だけで終わってもOKと思えるほどの充実。

 ノットの緻密で新鮮な解釈と東響サウンドの見事さには驚かされる。一昨々日聴いたイギリスの名門、フィルハーモニー管弦楽団とも優劣はない。個性の違いで、弦は東響が音の透明度としなやかな美しさで優り、輝きと強さでフィルハーモニーが勝る。管楽器の上手さは互角で、聴き惚れてしまう。わたしには東響が優れているように聞こえる。金管はフィルハーモニーか。

 ノットの指揮は、全楽章とも見事なまでの緊張感で、糸がピンと張られているような美しさ。オケへの指示=表情と手と身体の動きはまったく無駄がなく、惚れ惚れしてしまう。まるで最高の競技者のような動作だ。

 2楽章の天国的な美しさは、弦の有機的な上手さ、強奏しても音の品位が高く繊細さを失わないことで生みだされている。

 3楽章の感動、充実感あふれる躍動が終わると、再び1楽章が回帰する終曲へ。美しくかつパワフルな音たちは、同一メロデーと強弱を執拗に繰り返し、最後の爆発へと登り詰める。すごい迫力だが、すべてが美しい、いままで聴いたことのないブルックナー。隙がなく最初から最後まで気が抜けない。現代的な優れた演奏の典型で感動した。ただし、ブルックナーの素朴さ(野暮さ)とは無縁で、聴くのには心技体の充実が求められる(笑)。

 それにしても繰り返しの鬼のような5番を二日続けて同一会場でやるのは、ノット・東響くらいなもの?

 最初の小曽根のモーツァルトピアノ協奏曲は、ピアノがジャズのリズムと変則的な動きで、これは、完全なる確信犯(笑)、面白い。アンコールの即興のジャズ(クラシック曲のアレンジのよう)は、楽しくて、オシャレ、身体が動き出す。

 東響は、音楽の核心を明確につかんだ、と思われる。こういうオケは今までの日本にはなかった。ノット・東響おそるべしだ。
 なお、昨年の欧州演奏旅行のプレコンサートで演奏された「ショスタコーヴィチ交響曲10番」がSACDで発売となり(サントリーホールでのライブ)、今日のブルックナーにもマイク機材が入った。



武田康弘

   ※ 新発売のSACDショスタコーヴィチ交響曲10番今聴きましたが、当日のわたしの絶賛でさえ全然足りていないな、と改めて感動!
日本のオケ云々という話ではなく、10番の新たな金字塔で、こんなに面白い演奏、血が騒ぐ演奏は今までありませんでした。このSACDは「客観的」証拠です。ああ~~気分いい!当日のわたしの大賛辞の確かな証拠だ!(笑)これを聴いて幸福になれない人はいない。悦びの10番!

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