思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

憲法改定を先導する首相は、完全に憲法違反です。原理・原則も弁えない日本の知的退廃は底なし。

2017-05-12 | 社会思想

以下は、Atsushi Nishjima さんのfbです。


「第九十九条
 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」

安倍、完全にアウツ! 違憲です。

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武田 康弘主権者が為政者に課す約束事の理念を、為政者が守らずに、とりわけ最大の順守義務を負う首相が改憲を先導することは、明白な憲法違反と言えます。

 

Utida 憲法は主権者の意向を受けて国会が発議するものでしょう。行政府(のトップが安倍総理大臣)は、国会で決まった決まったことを実行する機関でしょう。唯一の立法機関は国会です。デタラメ国家ですね三権分立という原理さえ知らないのは、おそろしいこと。


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Atsushi Nishjima安倍は憲法が何たるかを理解していない。
国会は改憲云々を議論する前にその確認を先ずしっかりするべき。
犯してはいけないものを犯そうとしているという事を全国民は周知すべき。




上記の当然の見解も分からない首相及び政治家、マスコミ関係者は、見事なほどの知的退廃で、なんということか、日本はおわっていると言いたくなります。
なぜ、これほどまでに愚かなのでしょうか?

基本をしっかり勉強しないといけません。


 

武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室 客員調査員「日本国憲法の哲学的土台」を国会職員に講義)

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期待でドキドキ・・・サロネン指揮・フィルハーモニー管 ストラヴィンスキーの初演とマーラーの6番「悲劇的」

2017-05-12 | 芸術

 期待でドキドキ・ワクワク-----
昨年暮れに世界初演されたばかりのストラヴィンスキーの『葬送の歌』とマーラー交響曲6番「悲劇的」の2曲、
サロネン指揮・フィルハーモニー管弦楽団のこのプログラムでの演奏会は、タケミツメモリアル(東京オペラシティ)での1回のみ。5月18日(木)です。


 紛失されたと思われていたストラヴィンスキーの『葬送の歌』(師、リムスキーコルサコフのための・作品5・1908年)は、昨年、サンクトペテルブルグ音楽院改修工事の際に「開かずの本棚」から見つかり、大ニュースとなりました。2016年12月2日にゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団で初演されましたが、演奏会場にはロシアの他、世界中から、とりわけアメリカとフランスのメディアとオケの幹部が参加し、大成功を収めたと伝えられます。

 そのストラヴィンスキーに見出されて世界的存在となった武満徹(彼の唯一の師が清瀬保二)を記念する東京オペラシティーのホール=タケミツメモリアルで、最高のストラヴィンスキー指揮者の一人であるサロネンにより日本初演が行われます。深い「縁」を感じます。

 メインの大曲ーマーラーの交響曲6番「悲劇的」は、マーラー作品の中で最も現代的な曲であり、鋭い感性を持つ作曲家兼指揮者のサロネンにピタリの曲で、わたしの望みが実現することになります。東響のジョナサン・ノットは優れたマーラー指揮者ですが、5番は見事ですが、6番はいまひとつ合わないのです(最高なのは3番と8番でマイベスト、5番、9番も素晴らしい。2番はいまひとつ、4番はよくない。バンベルク響とのマーラー全集)。彼の6番は珍しく力技になっています。サロネンは、鋭敏でしなやか、作曲家でもありますので、「悲劇的」な傑作にエロースをもたらすのではないか、と期待しています。この曲は、9、11の翌日に凄い解析力をもつマイケル・テルソン・トーマスが常任のサンフラシスコ響と入れ、SACDを出しましたが、悲劇が生(なま)であり、どこにも救いはなく、カタルシスもなく、まったく音楽になっていない演奏が記憶に残っています。

5月18日(木)授業を振り替えていきます。う~~ん、なんとも楽しみ。

 なお、サロネンの見事なストラヴィンスキー7枚組が発売されていますが、オシャレで鋭利なのに温かい。最高の演奏が、CD一枚分の価格で買えます。24ビットリマスターで音もよく、安くてどうもすみません(笑)
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追記 当日、期待をはるかに上回る演奏会の感想です。


武田康弘

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