オケが引き上げた後も、幾度も呼び出されるサロネン。熱気が写真からも伝わります。このホールでこれだけの盛り上がりは今までなかったとのこと。よい記録になりました。
サロネン・フィルハーモニー 白熱の名演、超満員のタケミツメモリアルホール、鳴りやまぬ拍手、スタンディングオベーション、ブラボーの連呼、マーラー6番「悲劇的」ーすべてを終わらせる最後の一撃は、絶頂のカタルシス。
興奮冷めやらず、今朝は、6時に目覚めた。キラキラと輝く新緑が、爽やかな香りで空気を満たし、心身に染み込むよう。
ティンパニー7台、ホルン9本、トランペット7本、トロンボーン4本、コントラバスは8丁、舞台ギリギリに並ぶ楽器が目に焼き付いている。
オケの全体は有機的に一つだが、個々のプレーヤーは、自分の音をクリアーに出し、アインザッツも核心部分以外では神経質でなく、余裕がある。楽曲のイデーが明瞭で、音楽が立体化し、生きて輝いている。細かく緻密にやりすぎてノッペリとしてしまうのとは逆で、見事に立っている。マーラーと同じく作曲家でもあるサロネンは、音楽の捉え方が斬新で、いま生まれたかのように初々しい。シャープで現代的だが温かく、管理的ではなく、エロース豊かだ。
昨年、発見され、世界初演されたばかリのストラヴィンスキーの「葬送の歌」が序曲のようになり、休憩なしでマーラー6番に入り100分連続だったが、少しも弛緩せず、充実の極み。サロネンは全力投球で、途中で水分補給した。顔面紅潮し、途中からはずっと真っ赤だった。
長大な終曲4楽章は、海のよう。愛に溢れるサロネンの指揮は、いつまでも続いてほしいと願ってしまう。豊かな水の動き、透明な海水が渦巻き、泡立ち、流れる。曖昧さがなく明晰で鋭利だが、溢れるばかリの悦びがある。「悲劇的」と題されたこの曲は、運命により斃れ、すべての終わり=破局を告げる強打で幕を閉じる。しかし、サロネンの演奏は、これ以上はない鋭利な切断が、そこから目も眩むばかりの眩い生への飛躍を予感させる。強烈なカタルシスに全身が痺れる。
この演奏は、指揮者もオケも聞く者も、全員で行う格闘技のようだ。あるいは愛のルツボか。それにしても、音楽家のタフさには毎度舌を巻く。5月14日からこの日まで、5日間休みなしで、西宮(兵庫県)、東京、名古屋、熊本、そして昨日の新宿オペラシティ。
心身の底まで充足。帰りに一人、テラスで黒ビールを飲んたが、同じテーブルの母娘さんと対話。話があい、意気投合。ジョナサン・ノットのファンでもあり、嬉しい限り。一昨年のサロネン・フィルハーモニーでも、わたしと同じシベリウス、ベートーヴェン3番、ブラームスヴィオリン協奏曲(ヒラリー・ハーン)を聞いたと言う。縁。今日の演奏会のこと、ソニーのカメラのこと、日本のひどい型ハメ教育のこと(オランダに長く住んでいたそうです)。白樺派と白樺教育館のこと、国体思想ー安倍政権のおぞましさ、など楽しくお話しして帰路についた。
武田康弘
追記・fbの友人で、幾度か演奏会でお会いしている長谷川京介さんのblogを読みました。長谷川さんは「音楽の友」などで批評活動をしています。