思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

元号制度は、一人ひとりの人間存在の価値を薄め、不合理で利便性を阻害し、過去と未来の認識を曖昧にします。やめないければいけません。

2019-04-03 | 社会思想

 世界でただ一カ国だけ残った「元号」という制度はあまりに不合理で、連続する時間の流れを極めて人為的に断ち切るものです。

 

 人間とは「時間的存在」ですが(芸術では音楽や朗読などは時間的な存在)、ぞの時間の流れが切断されて人間・社会・歴史が「物化=実体化」してしまいます。したがって、人間存在のありようと元号制度は背反するのです。

 

 元号使用をやめることは、人間存在の現事実を知り、大切にし、一人ひとりの人間をそのまま愛する=肯定することにつながります。また、われわれ日本人が、短いスパンでしか考えず、スケールが小さくなるもの、こま切れの時間・時代をつくる元号の影響が大きいのです。

 

 何年前のことか分からず、未来の時間表記も分からず(いつ変わるかは不明)、という元号制度は、人間性を尊重するという観点からも、利便性という観点からも誤まりであり、よき新しい時代を拓くことを阻害してしまいます

 

 だからこそ、世界中で、やめたのです。日本以外の国では。

 

 世界で通用する通し年の表記にすることは、いま、極めて重要な日本の課題です。世界暦(西暦)を使う国民運動を起こしましょう~~~~!!



武田康弘

 

 

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