思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

クレンペラーのベートーベン「コリオラン」「交響曲4番」

2006-07-06 | 趣味

レコード芸術―6月号の『名盤鑑定団』では、ベートーベンの交響曲4番を取り上げていました。
発売時に私が感動し、レポートしたクレンペラー指揮・ウィーンフィルー1968年のライブCDを絶賛していて、わが意を得たり!です。
ただし、30年以上前より、私が20世紀最大の指揮者と信じて疑わないクレンペラーの評価があまりにも遅すぎますね~~。

この6月号では、このCD冒頭(8枚組みの2枚目)に入っているベートーベンのコリオラン序曲を「これほどの演奏はもう現れない」と結論づけていますが、聴けば誰でもそう思わざるを得ない巨大で深い世界です。比較を絶した恐ろしく大きな音楽ですが、一つひとつの楽器(フレーズ)はこれ以上ないほど明瞭に語り、歌っています。


ついでに、よい音でCDを聴きたい人への朗報です。
CDやDVDディスクのクリーナー&コーティング液ですが、ナノテックシステムズの「INTRON PROTECT 8500」です。
この液を少量吹き付けて磨くと、溶け込んでいる有機誘導体と銀微粒子で盤面がコーティングされるとのことです。
その結果、汚れ・雑味が減り、その分、音楽の音情報が増えます。
全体にクリアーになり、細かな音がよく聞こえ、安定します。長時間聴いていても、疲労感が少なく、気持ちがよいです。
刺が消え、音の押さえがきいて、正確に、しかも楽に音が出るようになります。
この手の製品は、過去にいくつか試しましたが、これほど大きな改善が得られたものは他にありませんでした。
CD二枚分くらいの出費で、優に100枚以上コーティング処理できそうですので、よい音でCDを聴きたい人には、とてもありがたい製品だと思います。

武田康弘





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気分爽快!市民派の勝利―滋賀県知事選

2006-07-04 | 社会思想

自・公・民の「相乗り」候補が敗退したのは、まことに喜ぶべきことです。

新幹線の新駅建設という公共事業にノーの審判を下した滋賀県知事選は、基地移転問題でノーを政府に突きつけた岩国市長選(自民党は安倍幹事長などがテコ入れしたにも関わらず敗北)や千葉7区衆院補選の民主党・若手女性の当選につづき、市民派の勝利です。
これで民主党も、「相乗り禁止」を徹底せざるをえなくなるでしょう。

私は個人的にも政治家と付き合いがありますが、プロの政治家=政治屋は、政治理念や実現すべき政策をもたず、選挙のことしか頭にありません。自分が勝つためには何でも受け入れてしまう本末転倒の姿勢が「相乗り」を加速させますが、これでは民主制は死にます。

シチズンシップに基づく市民運動に積極的に取り組むことにこそ民主制下の政治家には存在理由があるにも関わらず、何も分かっていない政治屋さんたちが大多数です。市民運動こそが間接民主制の下で、直接民主制を実現する貴重な契機であり、中心となるものですが、政治家は自身の特権の上に胡坐(あぐら)をかいて、汗することをしません。

小泉首相が進めてきた、そして彼の子分・安倍幹事長が引き継ごうとしている「小泉改革」という名の「経済格差」を広げるアメリカ主義=本質的に反・民主的な政策に、私たち市民は、今後も連続してノーを突きつけていきましょう!

近江聖人と呼ばれた偉大な陽明学者=江戸時代初期の私塾の開祖―中江藤樹を生んだ滋賀県民の判断に、再度拍手を送りたいと思います。オメデトウ。

武田康弘



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心幹ー頭幹ー体幹の弱い日本人

2006-07-01 | 私の信条

私が30年間主張し続けてきたことが、またまた見事に!?証明されました(笑)。
「サッカーの日本選手は弱かった」、という今朝の東京新聞の記事には、「体の幹」がしっかりしていない選手たちの問題が指摘されています。今更ですが、「小さい時からサッカーばかりやっている弊害―腕立て伏せができない選手もいるー土台に当たる基礎運動能力の問題」-というJ1浦和の野崎トレーナーの言が紹介されています。

何事でもそうです。
体幹―頭幹―心幹が弱いのです。
受験勉強―点数しか見えない親たち、軟弱な心―母親によって去勢されたような男の子たち、取っ組み合いも出来ないやわな体の子どもたち、自分という中心をもたず、情報や他人の言説に右往左往する軟弱思想の大人たち。

現在の日本、保守主義が横行し、時代を逆行させる愚かなウヨク思想が大手を振るうのは、まさしく、自己=私という人間的な生の出発点を持てない証拠です。組織=システム=既成秩序に依存しなければ生きられない、仲間―集団への無批判的同調、周りの顔色をみて行動し、手強い相手からは「逃げる」人間―肩書きや所属団体に依拠し、さらには一番大きそうな(笑)国家に忠誠を誓う!―ことで、かろうじて自分を支えるようなテイタラクでは、心も頭も体も腐ってしまいます。

「人」か生きているのではありません。
「日本人」が生きているのでもありません。
「私」が生きているのです。
人間が生きるとは、一般的に生きる!?のではなく、具体的経験=体験として私が生きるのです。たった一人の私が生きるのだという自覚がはじめて中身のある共生、共同、協力も可能にします。
自分と違う人間、手強い他者から逃げ回るような人生では、豊かなエロースはやってきません。ジリ貧の惨めな人生しか与えられないのです。

私は、「手強い個人」の育成を目がけて30年間、雨にも負けず・風にも負けず、頑張ってきましたが、しっかりとした人間を育成するには、情報によらずに自分の頭で考える力をつけさせることが絶対条件です。スマートに何でもこなす「おりこうさん」(本質的に不潔!な人間)では何事も成しえません。自分に正直に生きること、既成価値に逆らうことー顰蹙(ひんしゅく)を買うほどに主張することが必要ですが、そういう人間はほとんどいませんね~。私が手本を示しているのに(笑)。

武田康弘


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