思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

清瀬保二(きよせやすじ)のピアノ作品を聴きながら、感じることを。

2011-08-06 | 趣味

清瀬保二(きよせやすじ)のピアノ作品を聴きながら、感じることを。


明晰(めいせき)な論理に支えられた抒情性。
土着的にして洗練の極み。
凛(りん)とした倫理性をもつ。

平易で透明、かつ豊か。
楽しく、かつ品位が高い。
不屈・強靭(きょうじん)で、かつ深く優しい。
リズミカル・舞踏的で、かつ思索的。

孤高にして民主的。
清瀬のピアノ音楽作品で多いのは「こどものための」と銘打たれた曲。
バルトークも40の小品集「こどもために」をつくっているが、清瀬作品は子ども用の練習曲ではなく、詩情に富み、はるかに多彩。

深い悲しみや憤りは、昇華され、心の襞(ひだ)を震わす美へと変貌している。偉大な芸術のみがもつ力だ。
それにしても、なんと繊細で深々とした音楽であることか。
天才的な響きと音色に、唖然となる。

日本が生んだ最高の作曲家・清瀬保二は、なぜか知られず埋もれている。



ぜひ、3年前にはじめて出た全集(清瀬保二ピアノ独奏曲全集・ピアノ花岡千春)をお聴きください。


武田康弘
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反省と、謝罪と、償い。よく生きること=民主的倫理の基本です。

2011-08-05 | 恋知(哲学)

プライベートでも公共の場でも、人間がよく生きるための基本は、失敗や間違いを犯したときには、自分を「反省」し、相手に対して「謝罪」し、「償い」をすることだと思います。

わたしは、子どもに勉強を教えているとき、間違えて×をつけてしまうことがあります。また、子どもの言動を勘違いから叱ってしまうことがありますが、それが分かったときはすぐに謝ります。「先生が間違えた。ごめん。悪かった。」とはっきり誤り、償いにその子の喜ぶことをします。そうすると、子どもは、ほとんどの場合「いいよ。」と言ってくれます。それで却って絆が強くなります。

失敗や間違いや勘違い、あるいは言い過ぎたりやりすぎたりして相手に不快な思いをさせてしまうことは誰にでもありますが、その時、あれこれと言い訳をするのは見苦しく下品ですし、不愉快を増幅するだけです。また、相手に損害を与えたのなら、反省と謝罪だけではなく弁償しなければいけませんが、ゴマカして逃げる人さえいます。

損得や勝ち負け優先の生き方をしている人(ソクラテスのいう育ちのいかがわしい者)を見ると、素直に謝ることをしません。反省せず、言葉で誤魔化すので、人間としての進歩がなく、楽しく広がる人間関係が得られません。そういう人は自分のもつ「優位性」を武器にして他者との関係をつくろうとしますから、よろこびの世界にはならず、内的充実は得られず、心の内から楽しさが出てくることもありません。いつも不満足感を抱えるので、他者の粗さがしや揚げ足取りに快感をもつようになります。たえず新たな刺激を求めてさ迷う外面人間に陥るのです。

上下倫理を廃して民主的倫理に従い生きることは現代人に一番必要なことですが、そのための基本は、過ちに対しては、対等な人間としての立場で反省し、謝罪し、償うことではないか、わたしはそう思うのです。


武田康弘
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特捜検察を誤らせた責任は、裁判官とマスメディアにあるー『東京新聞』筆洗

2011-08-02 | 社会思想

以下は、今朝(8月2日)の『東京新聞』筆洗(社説に準ずる一面最下段のコラム)です。

「特捜を誤らせた責任の一端はマスコミにあり、と思いますが…」。今年の正月、旧日本長期信用銀行(現新生銀行)の元常務から届いた年賀状には、こんな一言が添えられていた
▼粉飾決算事件で東京地検特捜部に逮捕、起訴された元頭取らは三年前、最高裁で逆転無罪に。「検察に追従し、世論をあおった」とメディアを痛烈に批判した弁護士の言葉が突き刺さった
▼大阪地検特捜部の不祥事を受けて、先日発表された東京、大阪、名古屋の三地検の特捜部改革は、独自捜査偏重の路線を見直して、国税庁などからの送致事件の対応を強化するという
▼「過度の独自捜査優先の考え方は、誤ったエリート意識や傲慢(ごうまん)さへとつながりかねない」。笠間治雄検事総長はそう言い切った。捜査の現場を熟知するトップの重い決断だろう
▼きのう、発表された検察人事が注目されている。民主党の小沢一郎元代表の政治資金規正法違反事件を指揮した最高検幹部が退官し当時の東京地検特捜部長は先例のない研究職に転じる。長期化した捜査や、元秘書らの供述調書の多くが、裁判所に証拠採用されなかったことなどと関係があるのだろうか
▼特捜検察を誤らせた責任は、供述調書を妄信した裁判官、批判精神を欠いていたマスメディアにある。「検察の正義はまず疑ってみます」。元常務への暑中見舞いにはそう書こうと思う。


「特捜検察を誤らせた責任は、供述調書を妄信した裁判官、批判精神を欠いていたマスメディアにある。」は、
まことにその通りですが、

去る5月8日(月)には、史上はじめて国会(参議院)から「最高検察庁」への行政視察が行われたにも関わらず、マスメディアは、新聞もテレビも一切報道しませんでした。検察庁から報道しないよう依頼されたのは間違いないでしょうが、一行政機関である検察庁の意向を酌んで、何も知らせないマスコミでは、社会主義国の報道規制となんら変わりません。当日は、読売新聞も朝日新聞も取材に来ていたそうですが、一行も書かなかったのですから、その異常性には呆れるほかありません。

この日の参議院行政監視委員会(末松信介委員長)による最高検察庁への行政視察は、参議院議員24名(委員の8割)が参加して行われ、今までで最大規模とのことです。国会は、憲法41条の規定にある通り、国権の最高機関ですので、超党派で行政機関を監視するのは最も重要な仕事です。日本の民主主義を守り育てるために、これからも委員のみなさんにはぜひ頑張って頂きたいものです。霞が関官僚による不当な支配(官治主義)に対する唯一の機関が、国会からの行政監視なのですから。


武田康弘

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東京大学の良心ー児玉教授

2011-08-01 | 社会批評

幼い頃から「パターン知」を身に付けることと「暗記」に明け暮れ、ペーパーテストの勝者になった(ゆえに深い思考や豊かな経験をもたないで青春期を過ごした)自分は、頭がいいと思い込んでいるのが、東京大学卒業生の多数派なのですが、

その東京大学からようやく、内容のある、そして、人間性豊かな声が発信されました。
「東大の良心」とも言うべき児玉教授の発言をぜひお聞き下さい。

2011年7月27日 (水)
衆議院「厚生労働委員会」における参考人質疑
「放射線の健康への影響」参考人説明より
児玉龍彦(参考人 東京大学先端科学技術研究センター教授 東京大学アイソトープ総合センター長)


武田康弘
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