★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

大森君の死がい(特賞)

2010-07-02 19:04:26 | 文学
下に引用するのは、大正7年11月の『赤い鳥』に載った投稿綴方である。(繰り返し記号の一部の表記を改めた。)


大森君の死がい(特賞)        小林譲

 大森君がこの間學校からかへつて来ないので、お父さんやお母さんや先生や友だちが皆心ぱいしてゐました。をとゝひもきのふも、暑い中を津山の人人が、城山の方やあちらこちらを大ぜいさがしてゐました。
 けふ僕は三時頃、お姉さんとおさらひをしてゐると、カタカタカタと、きくわんじゆうか、じようきぽんぷのやうな音が聞えたので、びつくりしてとびでゝ見ると學校のうらのころび山の上に人がまつくろに立つてゐましたから、いそいで行つて見ると、丁ど學校の裏の桑畑の中にじようきぽんぷをすゑて、古井戸をほしてゐるのでした。
 その井戸から大森君のぼうしと下駄とが出たのださうです。この山の上の人も道にゐる人も畠の中の人も、いきをのんで目をまるくして、みんな同じ所を見つめてゐました。大森君のお母さんもなくなくみてゐられました。そぱで受持の三島先生がなぐさめていらつしやいました。    
 三十分ばかりでこの深い井戸はかはひてしまつたやうです。一人のはだかになつた男が中へおりて行きました。しばらくすると、その人はかぱんをかけて、はかまをはいたまゝの大森君の死がいをだいて上つて来ました。そしてすぐござをかけてしまひました。
 お母さんは、その死がいの上にうつぶしになつて、ないてゐられました。僕も目の中がむづあつくなつて、大きななみだがむねの上におちました。僕は大森君はどうしてあんな所にはまつて死んだのだらうと思ひながらかへりました。少し馬鹿であつたので、よけいに気の毒でたまりませんでした。



私は小学校六年間、作家の牛丸仁先生に習っている。ずっと担任の先生だったのだ。先生は児童文学を主たる執筆範囲としていたが、小学校五年生のときだったか、先生の「一切皆空」という小説を授業で読んだ。この世を一切皆空であると見なすことと、自分の霊魂が死んでも無とならずに寺の門をくぐるかもしれぬ、という、なかなか処理できない二律背反的な恐怖を描いたものだった、と記憶する。児童文学者の持っている認識の直接性、――青春小説家の迂遠なだけの逡巡を許さぬ認識の苛烈さ、このことを私は忘れずにいよう、と常々思っている。

鈴木三重吉がもう少し子どもに対する観念論的な夢想をやめていたら、「大森君の死がい」の持つ可能性をプロレタリア文学に簒奪されずに生かす道があったのかもしれないのである。

確かに、教育学部に就職しなければ、私は過去にも童話にも興味がなくなっていたかもしれない。良いことなのかは分からないが、とりあえず、いろいろと「反省」を迫る職場である。