★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

裾野少女と霊界から拉致される少女

2010-07-08 22:51:34 | 文学
壇一雄の「裾野少女」(昭和18)を読んだあと、すごくだるかった。で、スピルバーグ製作の「ポルターガイスト」を観る。少女がテレビの画面の向こう側か、押し入れの向こう側に誘われて行ってしまったので、親が必死になって彼女を取り返そうとする話である。

前者は、なんとなく煮え切らないようなキャラクターの男が、ひたすら遠くに行ってしまう話だ。音楽を超えて、学校を超えて、恋愛を超えて、山を越えて、海原を越えて。

こういう世界の先に、娘がテレビの画面の向こう側にいってしまう世界が待っているとは。スピルバーグのせいで、宇宙人や霊界は。みんな家族と戦う羽目になっている訳だが、翻って考えれば、霊界の接近を待つことで結束している家族ばかりが繁茂する現代社会は悲惨である。だいたい、少女は向こう側に行きたかったもしれないではないか?本当は。少女を霊界から強奪してこの世界に生まれさせたのはそもそも家族ではなかろうか?

然るに、宇宙人や霊界は存在しない。そのことに本当に気づいたとき、虚無の中で我々はまた何をやらかすかわかったものではないという次第だ。