★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

暑いときには戦後派文学、夜になったので月と街灯を無意味に撮ってみた

2010-07-21 20:25:23 | 大学
1時間目の授業に行こうとしたら、研究棟の入り口の温度表示が30℃。やる気をなくさせようというのですか。そうですか。1時間目からクーラー全力運転、授業の内容は「戦後派文学とか社会化された私とか」(←重っ

30分たったところで、清涼剤として映画「炎上」と「砂の女」を投入(←逆効果

私の話は一端終わり、発表者が「第2次戦後派」について報告する。報告されたのは「ひかりごけ」と「箱男」(←重いし狭いし


箱男は夜ふけの客人と暮らせるか

2010-07-21 01:58:11 | 文学
井伏鱒二の「夜ふけの客人」を読む。「私」という男が引っ越した。隣の部屋にはロシアの美人、しかし、そのパトロン?か何かが間違えて「私」の部屋で寝ている。いろいろあって、結局、何もできず……次の日の朝悪口?まで言われたので「あんまり、あまくみるな!」と「あからさまに声を出してつぶや」くのだが、それまで。

安部公房の「闖入者」を読むと、漱石のいわゆる「二個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ。甲が乙を追ひ払ふか、乙が甲をはき除けるか二法あるのみぢや。」を思い出すが、井伏の方は、まあ共同生活もありかなあ~、という気分になってくるから不思議である。

「原っぱの中の長屋」という設定もおもしろい。まるでロシアの原野の共産主義、いやソ連の集合住宅のことではないか……

小津安二郎の「お早う」をついでに思い出した。土手の下の住宅、これに郷愁を覚える人は多いのであろう。映画「煙突の見える場所」にも、高峰秀子たちが他人と共同生活を送りながら、土手の上の道路をお化け煙突を横目に見ながらてくてく歩いていた。仕事に行く風景がそこにあった。夕方になると土手から降りて共同生活に帰ってゆく。

繰り返すが、最近は、こういう風景に郷愁を覚える人が多いんだろうが、一方、「闖入者」や「箱男」に行き着くどす黒い情念を忘れてはならない。