★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

鯉と英霊

2010-12-06 01:42:28 | 文学
井伏鱒二の「鯉」を読む。

学生時代の友人・青木南八から貰った鯉を私は殺せず愛せず、しかし自らの所有物と主張して右往左往する。
下宿の池に放ったが姿を見せないのでつり上げてみると寄生虫が付いていた、で、青木の愛人の泉水に放っておく。やがて青木は死んだが、愛人も鯉も死んでいないだろう、愛人に頼んで深夜に彼女の家に侵入、枇杷を食い散らかしつつ、鯉を釣り上げる。「私」は失職し、とりあえず学生時代に戻るかのように……早稲田大学のプールに鯉を放つ。学生がいない深夜に覗いてみると、鮠や目高どもを引き連れ悠々と泳いでいたので、つい泣いてしまった。プールに氷が張っても、その氷に、鯉が鮒と目高を引き連れた絵を竹竿で描いて満足してみた……

……一回しか読んでないので記憶で要約してみたが、だいたいこんな話だ。

続いて、この前死んだ人の書いた「三島由紀夫が復活する」をぱらぱらめくる。「英霊の声」の、天皇が死体の累々たる場所に降り立つ場面の引用を読んで、ちょっと気持ちが悪くなる。「豊穣の海」の内容を思い浮かべようとしたが、よく思い出せないので、ちょっと読みなおしてみようかなと思ったが、眠くなった。

思うに、私の現実は、井伏と三島の中間にあるようだ。「鯉」を読んているとき、私は、語り手の「私」が早稲田のプールに飛び込んで鯉といっしょに泳ぐのを期待したのである。