★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

As Good as It Gets

2010-12-29 16:06:17 | 映画


映画「As Good as It Gets」をみる。「恋愛小説家」と訳されている。

恋する乙女の心情を書くためにはどうするかといえば、最低の男を思い浮かべるそうである。──頭の悪そうなファンの女の子にそう答えていた。たぶん、恋愛を男女というより「人間の本性」として捉え、それを赤裸々につづることでモラルの枷を破ること、──確かにそれで読者は感動するかも知れない──を、彼は重要視しているのであろう。彼は、そういう思想そのものとして筋金入りになってしまっている小説家なので、自分の本性は晒すべき、思ったことは書くべき、いや、口にすべしという人間になってしまっている。こういう人間は人との会話が面倒になってしまうので、そしてお金があるせいか、潔癖性である。が、性悪ではない、なぜか犬が好き。ゲイにも優しい。そのジャック・ニコルソン演じる男が、ヘレン・ハント演じるウエイトレスに恋をする。彼女の方は、単語の綴りをかなり知らないような人で、小説家の文脈依存の皮肉などを理解できない。語彙力がないせいか、小説家とは別の意味で言葉が乱暴になってしまう。

ぜんそくの息子を抱え、不幸とは何かを自覚し、気遣いのかたまりのような人である。うまく説明できなかったが、この物語は、偏屈おやじと不幸な美人の恋物語ではない。すなわちキャラクター小説ではない。もっと人物設定に複雑さがある。こういう二人が、恋人となるにはどうするか、という啓蒙映画である。というのは、単にお互いに複雑な人間であるにもかかわらず、弁がたったり純情であることを目指しているうちに恋愛不全症となる可能性がある我々にとって、これはコミュニケーション(笑)とは何かを思い出させてくれるからである。

案外日本の観客は、小説家が最後に彼女に、いつもの文学的毒舌ではなく「愛してます」とでもいうのではないか、と思ったのではないか?私もちょっと思ったし。しかしちがった。私はそのせりふをあまりおもしろいと思わなかったが……。恋愛のせりふというのは気が利いていればよいというものではないのだった。しかし陳腐であればいいというものでもない。それと、──俳優が上手いということもあるんだが──、ちょっとした表情の作り方が重要だ。彼らがお互いにやられたことをやり返すというのも重要である。例えば彼らがするように突然キスするということが重要である。我々の国で、こういう恋愛がなかなかできないのは、いままで書いてきてなんとなく分かるような気がする。

結論:忍ぶ恋がよい

来年のシラバスできました

2010-12-29 03:50:54 | 大学
来年の共通科目のシラバスを書けという指令がキタのでさっそく書いた。

とりあえず「学問基礎科目」は来年も「日本近代の恋愛小説を解剖する」の講義名で行くことにした。

事務からのメールにはチェックシートまでついていて、これをみながらチェックする。

「学生を主語にしており,「○○できる」という形式で書かれていますか。」

書いた書いた。日本語に「主語」という概念が本当に存在すれば話だが、それは気にしないことにする。要するに「イエス、ウィ、きゃん」の精神で行けということであるな。「イエス、学生は文学の素晴らしさを実感できる、きゃん」という感じで書いた。私はどちらかというとできないことを明示するのも大事だとおもうので、「学生は、恋愛テクニックを身につけることはできない」と附記しておいたわ。丁寧すぎたかも知れない。

「全学共通教育の到達基準」なんてのもあるな……この機会だから、各項目についてコメントしておきたい。

①21世紀社会の現状を理解し,その課題と解決策を自己と関連づけて探求することができる。

21世紀はまだ始まったばかりなんですけど……

②-1 日本語の言語表現を適切に理解し,自らの見解を文章や口頭で分かりやすく伝えることができる。

誰に伝えるかによってかなり理解も伝え方もちがうと思うんだけど……

②-2 情報伝達に関わる問題を理解するとともに,情報の適正な選択,利用のための基礎的な技能を習得する。

相手の見解を曲解したり、適当にコピペする技術の習得のことですね、と取られかねないぞ、、、

②-3 異文化について開かれた態度をとれるようになるとともに,一つ以上の外国語において,読み,書き,聞き,話すための基礎的な能力を身につける。

とりあえず北朝鮮に開かれた国になろう!

②-4 健康で文化的な生活習慣を営むとともに,集団の一員として行動することができる。

病人を差別し、集団でいじめるのですね、分かります。(これは本当に心配だ。。。)

③ 人類の文化,社会および自然についての幅広い知識とともに,学部専門課程を進んでいく上で必要な学問的基礎を身につける。

「人類、文化、社会、自然」……。戦前の官僚も似たような言葉が好きだった。幅広知識というものは、こういう単語を使いたくなくなる知的基盤のことである。

④ 地域社会の現状と課題に関心を持ち,自己と関連づけて理解することができる。

「自己と関連づけ」というのは難しいんだ。だからお祭りとかに参加したりするわけですよ。そして、そっちの方がよい場合がある。そして、そういう人間は「関連づけ」とは言わなくなるのだ。

⑤ 社会において自己が果たすべき役割や,市民としての責任ある行動について理解を深め,そこから自己や社会の未来について考えることができる。

こういうことを考えてるやつは例外なく無責任である。これが庶民の常識である。