★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「漱石山房の冬」のW君とわたしとわたくし

2010-12-26 17:15:41 | 文学


 更に又十二月の或夜である。わたしはやはりこの書斎に瓦斯煖炉の火を守つてゐた。わたしと一しよに坐つてゐたのは先生の奥さんとMとである。先生はもう物故してゐた。Mとわたしとは奥さんにいろいろ先生の話を聞いた。先生はあの小さい机に原稿のペンを動かしながら、床板を洩れる風の為に悩まされたと云ふことである。しかし先生は傲語してゐた。「京都あたりの茶人の家と比べて見給へ。天井は穴だらけになつてゐるが、兎に角僕の書斎は雄大だからね。」穴は今でも明いた儘である。先生の歿後七年の今でも……その時若いW君の言葉はわたしの追憶を打ち破つた。
「和本は虫が食ひはしませんか?」
「食ひますよ。そいつにも弱つてゐるんです。」
Mは高い書棚の前へW君を案内した。

     ×   ×   ×

三十分の後、わたしは埃風に吹かれながら、W君と町を歩いてゐた。
「あの書斎は冬は寒かつたでせうね。」
 W君は太い杖を振り振り、かうわたしに話しかけた。同時にわたしは心の中にありありと其処を思ひ浮べた。あの蕭条とした先生の書斎を。
「寒かつたらう。」
 わたしは何か興奮の湧き上つて来るのを意識した。が、何分かの沈黙の後、W君は又話しかけた。
「あの末次平蔵ですね、異国御朱印帳を検べて見ると、慶長九年八月二十六日、又朱印を貰つてゐますが、……」
 わたしは黙然と歩き続けた。まともに吹きつける埃風の中にW君の軽薄を憎みながら。




私もW君であるが、上の「W君」も「わたし」も嫌いである。

PEER GYNT SUITES

2010-12-26 00:22:53 | 音楽


エリントンの「THREE SUITES」を聴く。「くるみわり人形組曲」、「ペールギュント組曲」、「木曜組曲」?が入っているのであるが、評判のよい「くるみわり人形組曲」が目当てで聴き始めた。とはいえ、チャイコフスキーはもともとリズムの天才であって、原曲の方がスウィングしてるような気がしてくるから不思議である。

「ペールギュント組曲」が予想外によかった。「朝」や「オーゼの死」、「ソルヴェイグの歌」がスウィングしている。考えてみると、イプセンの原作はかなり風刺的であやしげな話であるから、これは案外劇にも合ってるかも知れない。